ちょっと遅くなりましたが
CINE21のインタビュー記事です。
azukiさんが記事に忠実に翻訳してくれました♪
殿の言葉はきっといつも難解で理屈っぽいんだろうと思います(w
でも、それはいっぱい伝えたいことがあるからなんじゃないかなぁ
では、その伝えたいことを読んでみてください。
演技もそうだけど。。。インタビューも「するめ」ですよね
噛めば噛むほど味が出る(爆
<イ・ビョンホン> 疾走、その男のやむをえない本能
<悪魔を見た>の俳優イ・ビョンホン
<甘い人生>のイ・ビョンホンを置いて
キム・ジウン監督はアラン・ドロンに似ていたと言った.
ジャンル映画の中、イ・ビョンホンのマスクはそれほど強烈で鮮やかだ.
キム・ジウン監督の <悪魔を見た>で
俳優イ・ビョンホンは悪に追い込まれて、
結局、自ら悪人であることを選択した男の苦痛に満ちた顔を見せてくれる.
氷のように冷たい冷淡さと、
火のように沸き立つ熱い怒りのクロスオーバー、
極限の二つの顔を交互に使いながら
俳優イ・ビョンホンの細胞の節々も同様に休まずうねっていたはずだ.
久しぶりに忠武路に帰還した俳優イ・ビョンホンの心境を聞いてみた.
イ・ビョンホンに会う前ミッションが与えられたなら、
多分それは ‘彼の緻密な頭の中を広げてみろ!’であるはずだ.
韓流とハリウッド進出、大衆映画と作家主義の映画を
孫悟空が雲に乗るように出入りしている彼の歩みを見ていたら、
デビューしてから 20年になったこの俳優を
これ以上修飾する言葉がなくなる.
誰もが彼は頂点の瞬間に立ったと思っていたのに、
彼は自分だけの理想に向かって
身軽にもう一歩乗せるすべを知っている明晰な野心家だった.
多くの後輩たちがイ・ビョンホンをロールモデルにしたのも、
容易く満足しない彼の気質のためだろう.
それならイ・ビョンホンの頭の中の‘俳優’はどんな姿だろう.
彼は一体どこまで走るつもりか.
これは俳優イ・ビョンホンだけが
公開して解説することができる性質の質問だった.
彼が素直に答えてくれたなら、
今回の出会いは、彼が最近見せてくれた
一連の対内外的業績を褒め称えることと同時に
俳優イ・ビョンホンに対する一定の注釈を付け加えることもできると、
ずいぶんしばらくの間考えた.
結論から言うと、もうスタジオへ彼が入る瞬間、
この俳優に対する解釈は見込みがないことを知った.
まず自己管理にたけた人々からよく見える態度の冷淡さのようなものは、
彼にさがしてみることはできなかった.
これもやはり高度の技術だと言ったら言う言葉がないが.
去年釜山映画祭を訪ねた木村拓哉が、
‘友人’ イ・ビョンホンがどんなに友好的で、暖かくて、自由な人なのか、
短いインタビューの時間で繰り返し誉めていたことの明白な一例を
私の目で見ていたという表現がぴったりと合う.
管理にたけた人として彼を規定してはいけない二番目の根拠はさらにある.
知ってのとおり彼は、
今一連のプライベートの訴訟問題で、演技をする俳優としてではなく、
大衆の前に立った芸能人として困惑を経験しているところだった.
ところがちょっと驚くべきことに私は、
彼のマネージャーからインタビュー手始めの前、
‘このような質問はご遠慮ください’という、
この業界ではかなりよく行き交う要請を受けなかった.
代わりに撮影を終わらせた所感を尋ねる記者にイ・ビョンホンがすぐに
“気楽ですって.大変なことをしでかしたじゃないですか.
だから仕事と別個でかえって気持ちが不便です”と
自らその間の心境を吐露した.
どんな手を打つことができない巨大な誤解の前で、
感受性の触手一つ一つに
保護を受けなければならない俳優イ・ビョンホンは痛ましく見えた.
誤解と理解の間、彼に向けた大衆の非難と言論の判断の前で、
俳優イ・ビョンホンの内面はケガをし、
傷跡ができ、たこに変わって行くところだった.
だしぬけに押し通さなければならなかった
“そんな時は忘れようとします.
私は心を治めなくてはならないと思うので.
作品に入って行けば、その上どんなことがあっても
わざわざマネージャーに伝えないでくれと言います.
それにしても解決されることでもないけれど、
撮影に支障を与えてはいけないからです.”
<悪魔を見た>は、だからと言っても、
俳優の心境が複雑な時訪ねて来た、
かなり度の強い作品だった.
連鎖殺人犯ギョンチョル(チェ・ミンシク)により
婚約者を失ったスヒョン(イ・ビョンホン)が
まったく同じ方式で彼に復讐を加えるという内容.
たった一行に要約されるシノプシスほど
俳優に多くのことを要求する作品もない.
キム・ジウン監督とは <甘い人生>
<グッド・バッド・ウィアード>(以下 <ノムノムノム>)を経
て既に三度目の作業だが、
今度だけは作業自体がとても違ったということが
イ・ビョンホン自身の評価だ.
“ だしぬけに押し通さなければならないキャラクターでした.
<ノムノムノム>をする時に身体が大変だったというなら、
今度はそのようにきっちり捉えて、
大変だと話せるものはなかったです.
それよりは撮影する始終ある機運が漂っていて、
その機運に押えつけられていたと言わなければならないでしょうか.”
<甘い人生>の ‘ソヌ’が、自分でも知らない間に破局を引き起こして、
‘私たちは、どうしてこのようになったのか?’
と繰り返し言うのとは次元が違う種類の加害です.
スヒョンは自分がどんなことを引き起こすのかよく分かっているし、
その復讐の程度がどれくらい無惨なことか、
あまりにもよく分かっている男です.
法に先立って個人の復讐を誓ったスヒョンは、
その当為性を排除したまま方法面でだけ見ると、
無惨に女性たちを殺害するギョンチョルとまったく同じで似ていました.
演技をする去る 4ヶ月、
イ・ビョンホンだけでなくチェ・ミンシク、キム・ジウン監督まで、
この悽絶な復讐劇の機運は、
大きな石ころのように撮影場を押さえ付けていた.
このような時は俳優にもまったく同様の衝撃が加えられる.
韓国の撮影現場が伝える楽しみでなかったとしたら
心的苦痛を容易く解消することができなかっただろう.
“<ノムノムノム >以後に相次いで
<G.I.JOE: 戦争の序幕>(以下<G.I.JOE>) を撮り、
また<I COME WITH THE RAIN>をし、
ドラマ <アイリス>まで、そして <悪魔を見た>をしたからです.
その間休まず走りましたよ.
そんな時は作業にのめりこまなくては耐えるのが難しいです.
<悪魔を見た>をする時も毎日監督と話し合って
映画に対する考えを繰り返し言いながら休みたいという考えを忘れるんです.”
今は長年の知己になったキム・ジウン監督との作業は、
こんな時他の作業よりも親しくて親密で気楽な現場であることだけは、
情を感じるようにしてくれることだけは事実だ.
“分からないです.<G.I.JOE>が、
あまりにもハリウッドブロックバスターで、
もっと人間的な面がなかったのかもしれないですね.
彼らは製作社の原則や徹底的な時間観念に
すべて上手く適応するけれど、
私は韓国の作業方式に慣れているから、
よりその冷静さを大きく感じたかも知れません”
監督とともに話し合って
映画に対する意見を自由に広げることができる
韓国の現場で作業して来たイ・ビョンホンに
最近参加したグローバルプロジェクトたちは異物感も抱かせてくれた.
“香港でトラン・アン・ユン監督と<I COME WITH THE RAIN>を撮る時、
その寂しさはやはり言葉ですべて言えません.
茫々たる大海へ出発はしたけれど、
機運はもう底がついたから、
どこが南側なのか北かもわからず見回しながら、
ただ前へ出る状況.絶対的な寂しさの状況でした”
余裕と恐れの間で
<悪魔を見た>までずっと続けて
4年余りを一走りで終わらせてみたら、
ようやく息継ぎをする余裕ができたのかもしれない.
時に広々と果てしなかった、
また時に放棄したかった瞬間を
通り過ぎた自分を見ながら彼は自らを評価する.
その間の自分の煩悩と違い、
結果物に対してファンたちがかける
‘上手な選択だった’ あるいは
‘作品の中での存在感が光っていた’という、
もしかしたらまっとうすぎる褒め言葉が彼には大きな安心になった.
その瞬間は本当に大変だったが、
‘私は判断が上手いんだな’と言いながら、
今は自らを軽く叩くすべも知っている.
もちろん来年にある <G.I.JOE2>の撮影の前まで彼は
本当に久しぶりに休息というものを持つことができるようになった.
そして一時<明日は愛>に代弁された軽快でロマンチックな姿に代わり
<甘い人生>以後自らずっと冷情で
冷たいイメージに刻印されて来たという点を実感する.
時には、気が短くて無茶でもあった本来の自身のキャラクターを
ある瞬間自分でも忘れていたが、
この短い休息が本来の彼を見つけることに
役に立つだろうという点を確信する.
だから緻密な計画を持った俳優という修飾と評価の前で
しばらくは自由になることができると安心する.
“俳優として夢だと言わなければならないだろうか、
そんなことはなくはないです.
テコンドーやカンフーのような特技で認められるのではなく
完全に俳優のキャラクターでハリウッドに進出する
という俳優としての夢は見てみるに値するようです.”
それでもどうか計画だけは聞かないでくれと.
聞いても言うことがないというのだ.
“その間ハリウッドでの提案もいろいろありましたが、
まだ何をするか決めることはできませんでした.
分からないです.
マネージャーがまた
一か月なら終わるけれど、
と作品を持って来くればやることになるのか…. ”
一ヶ月ではなく、十日以内にもきっちり終わる作品なら
そして<G.I.JOE2>の 撮影の前でも軽くできる作品なら
ホン・サンス監督の作品がちらっとかすめる.
“それでなくても私はホン監督の映画にも関心が高いです.
スケジュールのため機会が得られなかった時もあったし.
ところで、ホン・サンス監督の映画は、
自分自身があまりにも現われるじゃないですか.
それはちょっと怖くはあります.(笑)”
文 : イ・ファジョン 写真 : ソン・ホンジュ( 写真部長)
special thanks azuki-san♪