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CINE21 850号③
バリスタの資格証も取った


インタビューが、あまりにも久しぶりだと。
思い切り周辺で、最近、最も多く聞く質問は何ですか。

一番大きいのは、やはり結婚です。
少し前の妹(イ・ウニ) の結婚が大きかったです。
気持ちが本当に変でした。
私はいつも、お母さん、妹、
チャールズ(イ・ビョンホンの海外マネージャー)と一緒に暮らしていたのに、
振り返ると、妹もチャールズも結婚したのです。
それにソン代表、会社の会計をする友人のような普通の近い人ではなく、
私に重要なすべての人たちが、最近みんな結婚しました。
スケジュールがなくて遊んでいる期間だったら、
心が乱れていたように思います。



普通そんな時、自分に向けた総体的反省が始まりませんか。(笑い)

まだ考える余裕がないです。
妹の結婚式も、式を執り行うことが、私には重要なことでした。
結婚式の日は、涙を堪えるために、酷い目にあいました。
妹やお母さんは、涙もろい人なのかよく分かっているので、
私が精神を集中できないと大変な事になると思ったんですよ。
結婚式の二日後に妹に電話をしたのですが
“僕、撮影場なんだけど、どこ”と聞いたら、家だと言ったんですよ。
“お母さん、ちょっと代わって”と言うと
“いいえ、私たちの家だから”と言うんです。
電話を切るのに、気持ちが本当に変でしたよ。
お母さんは、本当に寂しいだろうな。
僕は分からなくても、お母さんに娘は、一番近い友達だから。
そんな考えたちが、やたらにしましたよ。



バリスタの資格を取りましたが。そんな趣味の生活をするなんて、少し見慣れません。

これ(インタビューの時イ・ビョンホンは、タンブラーに入ったコーヒーを持って来た)
私が作ったものです。
私はバリスタなのに、他の人が作ったものをどうして飲むのか。(笑い)
深刻にしたことではなくて、知り合いのお兄さんが一緒に通おうと言って、
付いて行くことになりました。
ちょうど「悪魔を見た」を撮ってから時間が少しあるから行ったのですが、
やってみると面白かったですよ。
職場に通う生活とは違って、この仕事をしてみると、
急に時間が、ぽっかりできるし、
与えられた時、何をしようかと思うことが多いです。
ただボーっとしていると時間がもったいないので、
そんな時、安らかになれるものたちは何か、
悩むようになります。
ワインも学びたいです。
眠れない時、一杯ワンショット飲んで終わらせるのではなく、
この小さな瓶の中に込められたワインの歴史を知ると、
私に与えられた空の時間が、もう少し豊かにならないかと思います。
映画も、家で、一人で見る方です。
コーヒーを飲む瞬間も、ワインを飲む瞬間も、映画を見る瞬間も、
乱れて気が抜けた私の生活を沈澱させる時間になってくれます。



学んで挑戦するところが開かれているのは、少し意外な姿です。

そんなことたちに、閉鎖的ではありません。
元々性格も好奇心多いし、無茶だし、あれこれ探してみる方です。
人々は、私が有名だからか、殆どのことは気に入らないと思うけれど、
私に対して、そんな考えをすること自体が、嫌です。
だから、さらに積極的に表現するようになります。
その上、私がバラエティやトークショーに出ないと、閉鎖的だと思います。
でも、大部分のバラエティは、自分の人生を話すものではないですか。
俳優が何故自分の話をしなければならないのか。
話してみると、結局自分の合理化で言い訳になります。
そんなツールがよく合って必要な人もいますが、私には違います。
その他の側面では、私は開かれています。



最近のケーブルTVで「明日は愛」を見ると、なお新しく感じます。
1992年から放送されたので、デビューの時の姿です。

20年前の姿を、そのように見せてくれるのは、
明らかなテロです。
一人で見るのも顔から火が出るのに、
それを全国放送で送りだすなんて。 (笑い)
また見たら、本当に若かったですよ。
頬の肉が、どんなに丸々としているか。
あの時の私のニックネームは、アヒルのお尻でした。
白のパンツが盛んに流行するから、
はちきれそうなジーパンをはいて通いました。



演技というよりは、本当に、そんな大学生みたいでした。
おかげで「明日は愛」が、同時代の観客に及ぼした影響力は、途方もなかったです。

それもそのはずなのが、
あの時はマネージャーにも疎かったです。
特に私のような公採出身は、よりそうでした。
7年間、マネージャーなしで通いました。
スタイリストもいないから、着て出た服は、すべて私の服です。
その週の分量が 4日分なら、
四種類の着装を合わせて行きます。
最大限自然なものを見せてあげようという気持ちがありました。
私が TV 見ながらいつも疑問だったのは、
何故、寝て起きても俳優たちは、
みんな、化粧をして綺麗なのかでした。
本当に起きた人のようにしなければいけないと思いました。
それで、髪を、わざわざやたらにもつれさせて、
折り畳むようにドライをしました。
そんなふうにリアルな姿を見せてくれるものは、
以前にはなかったです。
周辺からは、何であんなにまで乱れる必要があるのかと
言う視線もあったのですが、
視聴者によって、反応が届いたんですよ。
少し前に「明日は愛」のチームが再び集まったのですが、
ユン・ソクホ監督が、
その後の話を、 2部作一幕物でしてみても良いんじゃないかと、
おっしゃったんですよ。
あの時はキャンパスが背景だったのですが、
ボムスは建築学科の教授になっているのです。
でも、また会って編集されるなら、「愛と戦争」になるのか。(笑い)



「明日は愛」の話が出たついでに、
1991年 KBS 公採タレントでデビューした後、もう演技20年です。
アクションの演技が、すっかり増えましたが、大変ではないですか. (笑い)

会社員たちは課長、部長になることを考えながらストレスを受けますが、
代わりに、少ないけれど粘り強くお金を稼ぐし、
本人の具合が悪いと、代わりにしてくれる人もいます。
でも、私たちには、代わりをしてくれる人がいません。
あっ、チョン・ドゥホン武術監督がいますね。(笑い)
今になって違うこともできないし。
振り返ってみると、私が演技をすることになるのは、
本当に分からなかったです。
幼い頃、町内では大将でリーダーシップもあったのですが、
いざ学校で発表しろと言われると、言えませんでした。
他の人の前に立つのが、とても恥ずかしくて大変でした。
子役俳優だった妹の顔なじみだった他の俳優のお母さんが、
“君はタレントにしてもいい”ということを言うので、
話にならないと言ったのですが、
今は、これが、私の一生の職業になりました。
ところで、あっ、そうだ、「私は朝鮮の王だ」は、
大衆が好きな映画と言いましたが、
興行が上手くいかなければどうするか、心配です。

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by gomazokun | 2012-04-25 22:39 | その他翻訳
CINE21 850号②
一番大きな世界に行きたかった


まず「G.I.JOE 2」が先に封切りします。
製作社のパラマウントが、アジア地域興行の一番の功労者として、
イ・ビョンホンを挙げました。

アメリカ側の態度がとても好意的に変わりました。
私は扱いが良くなったのは幸いですが、そっと考えてみると、
彼らもやはり、本当に怖い人たちです。
私たちは、冷たく接してから突然変わる行動をすれば、
心苦しくないですか。
この人たちは、ただ、直ぐにします。
少しずつ変わるのなら、
私が一生懸命するからそうなのかと思うはずですが、
このような急激な変化なら、私でなく、彼らが変わったのです。
反対の場合にどうなるだろうと考えてみると、
身の毛がよだつものです。



体感温度は、どの程度なのですか。

少し前にエージェンシーの変更(WME 所属からCAAへ)の件で
アメリカへ行ったのですが、
それと兼ねて、パラマウントの関係者とジョン・チュウ監督に会いました。
パラマウントでは、Part1の時の韓国ファンの動きを見て、
内心驚いた気配でした。
アメリカには、私たちのような熱いファンの文化がありません。
レッドカーペットで歓呼したりするけれど、
トップスターたちが、普段道に出かけることは、珍しくありません。
だからこれは、本当に無視することではないなと判断したのです。
予告編の音楽はどうなのか、
韓国人たちが特に好きな音楽ジャンルはあるのか、
これはティーザー予告編だから、
いくらでも反映してあげることができる、
と言いながら、私の意見を尋ねていましたよ。



Part1の時は、こんな過程自体が、なかったということですか。

あの時は、私たちも、よく分かりませんでした。
他の人たちの契約では凄く厚いのに、
私たちには、ただ理解して、してくれと言いました。(笑い)
いくら弁護士がしてくれると言っても、
よく分からない状態では、
条項一つ一つを要求するには限界があります。
一例で、Part1の時、メイキング映像を要請すると、
“何を言っているのか、
俳優たちがこんなにたくさん画面にかかるのに、
他の俳優たちの肖像権はどうするのか”という答えでした。
その話を聞いて、
“あぁ、やっぱりハリウッドは違うね”こうでした。(笑い)
今度は、あちらから、
まずアジアのマーケティングを聞いてみるので、
“もしもメイキング、少し…”と言ったら、
みんな持って行けと言っていましたよ。(笑い)



それほどなら、Part2の撮影の時から、もう地位が変わったはずですが。

Part1の時は、撮影がない日も、
無条件で出なければいけませんでした。
数ヶ月間、午前 4時30分に出て、
6時には、トレーラーに正確に行っていました。
扮装してからは 8時30分ぐらい。その時間から、
ストーム・シャドーの服を着て待ちます。
10時間をそうしていると、午後 3時頃なれば、
完全にすっかり疲れてしまいます。
したい意欲もなくて、眠くて。
それでも撮影ができずに帰る日も生じます。
私は、こんなに苦労したから時間を超過しても撮りたいけれど、
彼らには 、10分の超過も、想像することができないのです。
もちろんその日は、無駄骨です。
3時頃助監督が来て “すまないけれど、
今日は撮影がなさそうだ”と言います。
そんな日が茶飯事でした。
その時は、判断がつかなかったんですよ。
私は彼らには新人だからそうなのか、
元々のここのシステムがこうなのか。
どっちかハッキリしないから、話もできませんでした。
どうするか、初心をまた訪ねることができる機会と気楽に考えました。
今度は、午後4時までに来てくれと言うので行ってみると、
全て準備してあります。
扮装が終わるやいなや、トレーラーに行く時間もなく、
すぐに撮影です。
撮影場に何十台かのトレーラーがあるのですが、
みんな似たり寄ったりの古いトレーラーで、
たった二つが大きなトレーラーです。
一つがドウェイン・ジョンソンので、他の一つが私のです。



その結果、Part2では、ストーム・シャドーの比重が大きく増えたと聞きました。

ほとんど主人公だ、という記事が出ましたが、そうではありません。
ストーム・シャドーの分量は、決まっているからということです。
量的には、Part1よりは、少し増えた程度です。
でも、確かに、ストーム・シャドー中心に話が回っていくのは、
変化です。
Part1では、私はバックグラウンドに、
ただ立っている場面も多かったです。
出てきたのに見えない時も多いし、
ただついて行く場面もありました。
Part2では、そんな場合は、ほとんどありません。
私が登場すれば、とにかく私のストーリーが進行されます。
内容の面で見ると、途方もない発展です。
少し前ジョン・チュウ監督と通話したのですが、
ストーム・シャドーの場面は、
編集でほとんど生かしたと言っていましたよ。
気分が良かったです。



イ・ビョンホンと言う俳優が獲得した確固なスター性に、波紋は必要だったのでしょうか。
「G.I.JOE」が、そんな機能をしました。

一種の挑発でした。穏やかな水に、石を投げたいと思う気持ちです。
演劇の俳優ならブロードウェイの舞台に立ちたくて、
歌手ならグラミー賞にノミネートされたいように、
誰でも、自分がいる分野で、
一番大きな世界へ行きたいものです。
しなくて後悔することより、チャンスが来たのに、
固く躊躇って恐れる必要があるのか。
私はまだ、結婚もしていませんが、
安定的なものにあまり重さを置かないようにしようと思います。
もちろん、そんな決定をする時、気にかかることも多いです。
その時英語は、どう学ぶのか。
ネーティブスピーカーは、私の発音が変だと感じるはずだが。
アジア的なものは、神秘感を与えることができるけれど、
それは、それでも、少しのはずだが。
あれこれ計算してみると、私は本当に上手くしたのか、
笑い物になるのではないかと思いました。
面倒で遥かに遠いことだらけで、
一体私は、何を決定したのかと思いたくなります。 (笑い)



まだハリウッドに操縦を受けている感じ


「G.I.JOE」は、俳優イ・ビョンホンのハリウッド進出のための序幕のような作品になりました。

実は、私のフィルモグラフィーは、
物凄くでこぼこしています。
「共同警備区域 JSA 」をしてから
口をつぐむ監督が演出する「バンジージャンプする」をすると言うと、
誰も理解できなかったんですよ。
時々私の意志ではないのにしなければならない時もありますが、
大部分は、純然と感性に差し込まれて決めるから、
こんな結果が出てくるのです。
ところで「G.I.JOE」は、
唯一に私が戦略的に挑戦した作品です。
エージェンシーもそうだし、みんなが、
これは、必ずしたらと言ったんですよ。
ストーム・シャドーの持つ影響力は、
アメリカ文化圏ではとても大きいので、
間違いなく役に立つということでした。
仮に私が追い求める理想的なハリウッドデビューではなくても、
その道まで行く良い過程だと思えば、
これよりもっと良いチャンスはないだろう、
という考えで決めました。
およそ 1年引きずりました。



結果的に選択は悪くないです。「G.I.JOE」でのストーム・シャドーの魅力は、絶対的です。

初めは、そんなこと、思いもしませんでしたよ。
あの時「グッド・バッド・ウィアード」と「I COME WITH THE RAIN」で、
香港と中国を行ったり来たりしながら、撮るしかなかったです。
そばで(チョン)ウソンが、兄さんも本当に凄いと言っていましたよ。
体力は十分かだって。
「I COME WITH THE RAIN」が終わるやいなや、
扮装の血をたっぷり付けたまま、ウェットティシュで拭きながら
「G.I.JOE」の撮影のために LAに行きました。
飛行機を降りるやいなや、
「G.I.JOE」の衣装のフィッティングをしに行くのですが、
仮縫いした服を着てびっくりしました。
戦隊物の主人公になったようでした。
そう思っているのに、マスクを持って来るし、
その上器具を持って来たんですよ。
それを見て、これは違う!と思いました。
対の刀を持って空を飛ばなければいけないなんて。
その瞬間、眠りからぱっと目が覚めた気分でした。
私は一体何をするのか。
何も言わず服を脱いで、
マネージャーに明日ミーティングを決めてくれ、
すみませんが、私はできません、
間違いでした、韓国に帰ります、と言うと。
降りることができるなら、本当に膝でも跪こうかと思いました。



常識的に考える時、ありえない事です。

そうしては、絶対いけないということです。
時々、どっちなのかハッキリしない瞬間はあります。
でも、こんなにはっきりと ‘してはいけない’と思ったのは初めてでした。
心的に底を打っていました。
ところが、夜につくづく考えてみると、
とにかく私が決めたことだから、
こんな姿を見せてはいけない。
運命を信じる方だから、
‘できることなら、こんな器具に乗ってもできるものだし、
できなければ、仕方ないことだ。
自分が思うことほど大きな被害がなくても、
良い勉強になることもあるのだ‘と、心を改めました。



ハリウッド進出の手順において、今の段階を点検したら。

まだPart2が公開されていないので、
これと言うような変わった状況はありません。
Part2が成功して、業界の人たちに目立てば分かりませんが。
今は、二つの作品を待っています。
主演ではないですが、かっこいいキャラクターです。
スーツの身なりなので、見かけも、もっともらしいし。
待っています。待っているのが合うことで、
私が選択することではないので。 (笑い)
ある瞬間には、私は選択する立場にならなければなりませんが、
まだ、ハリウッドが私を操っている感じが、より大きいです。

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by gomazokun | 2012-04-25 21:47
CINE21 850号①
またまたazukiさんが
訳してくれましたー
CINE21のインタビューはほんまに読み応えがありますよねー
日本の韓流スター的なインタビュー
はよ止めて欲しいです。

殿の発言は水色の部分です。


[イ・ビョンホン] この俳優の無限挑戦
「G.I.JOE2」「私は朝鮮の王だ」 イ・ビョンホン


あえて分類してみようとしても、イ・ビョンホンは独歩的な世代だ。
彼はチェ・ミンシクを筆頭にしたソン・ガンホ、 ソル・ギョングのような
演技派俳優たちと立場を共有しないし、
スター性を土台に演技性を構築したウォン・ビン、チョ・インソンのような
俳優とも共通の分母で編集されない。
訓練ではなく、生まれつきの演技。世代と地域を出入りするスター性。
この二つこそ、別々に引き離すことができない、
イ・ビョンホンを構成する単一の物であると同時に、
彼のスクリーン掌握力を絶対的にさせてくれる要素だ。
17周年を迎えたCINE21が俳優イ・ビョンホンに会った。
光海君と似ている外貌を持った賎民ハソンが
偽物の王の役割をしながら起きるファクション
(*注)フィクションとノンフィクションの中間のもの)
時代劇「私は朝鮮の王だ」で彼は、
光海君とハソンの二つのキャラクターを行き交う
1人2役の演技で撮影に邁進中であり、
まもなく封切りするハリウッドブロックバスター「G.I.JOE 2」で、
変化したストーム・シャドーを見せてくれる予定だ。
演技生活 20年の間の彼は、
容易く崩れない堅固な自身を積み重ねたが、
率直な彼の話を通じて振り返ったその道には、葛藤と疑心、
挑戦と決断が毎瞬間共にしていた。
安定を放棄することで彼が得た無限な期待の領域に、
つかつかと足を入れてみる。


撮影真っ盛りのところだから、今日のインタビュースケジュールは、奇跡と同じでした。

本当にドラマを撮っているようです。
製作費の負担によって、昔より、現場が、
とてもタイトになっています。
アメリカで毎日運動しながら撮影する時より、
もっと大変なように思います。



時代劇は初めてだから、馴染みが薄いです。

わぁ、時代劇をする人たちは、すごいと思いましたよ。
髭をつけて、まげを結って上げる扮装が、
どんなに苦痛か分かりません。
歯の矯正をする人たちが、初めに、
とても痛くて眠れないと言っていたのですが、
たぶん、似ているように思います。
撮影が20時間なら20時間、
ずっと口の周辺と頭の中が痒いです。
それに耐えながら続けます。
撮影が瞬間的に大変な時は多いですが、
こんなに粘り強く苦痛が伴うものは初めてです。
とても鋭敏になって集中できない時も多いです。



その上、抜き差しならない、冬の撮影でした。

生まれて初めて下着を着ました。
一枚でもなくて二枚ずつも。
本当に寒くて狂いそうだったんですよ。
服は、みんな麻の素材なので、
保温が全くできなかったんです。
ハソンを演じる時は、それでも大丈夫です。
でも、光海君は王なので、
服がシワになってはいけません。
よく折り畳まれているし、シワになる素材だから、
少しの間暇ができる時に、
パディング(*注)パディングウェア=羽毛などを詰めた防寒用の上着)
も着ることができません。
一時間以上休みそうだと思うと、
脱いでパディングを着ています。
大部分は寒いまま、ただ堪えるしかないです。



苦労するからそうなのか、とても痩せたようです。頬の肉が、すっかり減りました。

痩せは、しなかったです。
むしろ監督が、時代劇だから、シックスパック、
こんなのはダメだとおっしゃるので、
作った筋肉をすべて無くしています。
さらに、お腹も出てきました。 (笑い)
扮装するのに一時間半程度もかかるので、
一日を早く始めます。
最近は、両水里(ヤンスリ)でなければ、
聞慶(ムンギョン)で撮影しているのですが、
ヤンスリに行く時は、家から午前 7時に、
ムンギョンに行く時は、午前 5時30分に出ます。
ずっと朝の生活に合わせて撮影するなら大丈夫ですが、
大変なのは、3~4日ほどこうしてから、
翌日の撮影が、午後 6時に決まる時です。
そう、曖昧なのです。(笑い)
この日は、午後 6時から翌日 6時へ、
生活のタイマーを合わせておかなければいけません。
そうすると、翌日には、めちゃくちゃになります。
いつでも眠くて寝なければならない時間には眠れない。
身体は、それで萎えるように思います。



それでも初の時代劇を '試み'るほど、
今度の役は、魅力的なキャラクターです。
1人2役というのも、間違いなく、俳優にとっては、
大きな刺激になるはずだし。

単純に興味で行くには、負担な部分があります。
1人2役という構図は、
確かに俳優にとっては挑戦の地点ですが、
完全に感性だけで、これをすることになったのではありません。
私が楽しんでこそ、それが作品にも反映されるし、
結局観客も楽しむことができると
マインドコントロールをしたりするのですが、
ある瞬間からは、
それが上手くできなかったんですよ。
この結果は、最終的には私を評価する物差しになるし、
私が最も上手くする部分だと判断してする仕事だから
責任感が大きいです。
自分一人楽しむなら何でやるのか。
観客がそっぽを向いたら、それで終りなのに。
その上、次の作品にも影響を与えます。
私にとっては、これが生計です。



「私は朝鮮の王だ」が大きなプロジェクトになったのは、
イ・ビョンホンのキャスティングが、功を奏したという評価です。

みんながとても期待しているのですが、
今度の映画は、思ったより可愛らしいドラマです。
シナリオを読む時は面白かったのですが、
今度は少し珍しい経験でした。
私もこの生活をした歳月があるから、
普通作品を見れば 60~70%は下絵が描かれます。
ここで私に任せられるものがどんな姿であるかは、
およそ80%は見えます。
話は監督の領域ですが、キャラクターは私が描くものなので、
もっとよく見えます。
でも今度は、それが全く見えなかったんですよ。
キャラクターが正確にどうなのか、私がその役をした時はどんな姿か、
想像できなかったんですよ。
しようと思う役について、こんなに不安で最後まで分からないのは、
ほとんど初めてでした。
3ヶ月をどのようにするか悩みました。



悩みの地点で結局見つけた解決法は何だったのですか。

ソン代表(ソン・ソグ、イ・ビョンホン所属社 BHエンターテイメント代表)が、
そばでプッシュしたことが大きかったです。
何といっても、一番目にこの映画は、
多くの人たちが好きな映画です。
また、シナリオがコミックなので、深刻な面ではなく、
今では私にこんな面もあるということを
見せてくれるのが悪くなさそうです。
確かにこの映画は、しばらく私がした映画たちと違い、
大衆的な映画です。
撮影しながらコミックな部分が徐々により大きくなるので、
もはや完全にコミック映画になったようでもあるし。 (笑い)



一度生きる人生、何のために石橋を何度も叩くのか


ある瞬間から、出演作がジャンルや素材において、
暗くてマイナーな側面が強いのは事実です。
これ以上大衆性にこだわらないという印象も受けたし。

「純愛中毒」の時から、そうみたいです。
「甘い人生」も評壇は認めたけれど、観客数で見ようとすれば、
見捨てられたのも同然だったし。
「悪魔を見た」は言うまでもなく。
深刻で真摯にしながら、結局、悪役まで行きました。
だから劇場によく行く 20~30代の観客は、
私のイメージをとても暗く思います。
でも、それは誤解です。何故なら私は、
わずか十数年前までにしても、
良く笑わせるやつ、不真面目なやつ、
元気な大学生のイメージが全てでした。
「明日は愛」「ポリス」「アスファルトの男」をする時は、
私が深刻な役をすると言えば、
“イ・ビョンホンが、そんなことをどうして言うのか”と、
話にならないと言いました。
私は自分の歴史を知っていて、
こんな明るいイメージが頭の中にすべてあるから、
私のイメージが違うように受け入れられるということも分かりませんでした。
ところで一年ほど前、後輩が
“兄さんは、とても深刻で真摯な役ばかりするみたい”と言ったんですよ。
それは君の誤解だ、と言ったのですが、
じっくり考えると、私は、自分を誤解していたんですよ。



「私は朝鮮の王だ」のコミックな要素は、今の基調を逆転して、
大衆性を獲得する土台になるものですか。

厳密に言って、以前まで、
観客数を考えて作品を選択した事はなかったです。
「I COME WITH THE RAIN」をしたのも観客数とは距離が遠かったし、
「G.I.JOE:戦争の序幕 (以下 G.I.JOE)をする時も、
人々が後ろ指を差す感じを受けました。
それなりに自分の世界で位置を押し堅めている奴が、
何故あんなことをするのか。
ハリウッドだと石橋なのか、スポンジで作った橋かも知れなくて
無条件で行くのかと眺める視線がありました。
その当時は、私にとって、すごい激変期でした。
一ヶ月の間に「グッド・バッド・ウィアード」
「I COME WITH THE RAIN」「G.I.JOE」、
三つの映画の契約を締結しました。
以前までが人々が少し喉の渇く程度で作品をしていたというなら、
この時からは、本当に休まず行くようになったのです。



観点の変化が生じたのですが、何か、特別なきっかけがあったのですか。

どうせ一度生きる人生なのに、
何をそんなに石橋を何度も叩くのかと思ったんですよ。
作品の結果や波長は、
誰にも予測することができないことなのに、
私は何をそんなに占おうとするのか、
ただ私をもう少し豊かにさせて、
私の新しい姿を見せてくれることができるなら
一度やってみようと思いました。
やって後悔する方がマシだと思ったんですよ。
そんな決心をしてからは、
作品を決めるのに時間が少なめにかかるし、楽になりました。



総70回のところ、既に30回撮影を終えたのですが、
半分になる今の判断は、どうですか。

あまりにも無茶でユーモラスだから、
こんな役は自信があるように思っていたのに、
久しぶりにしてみると、感覚を失ったのか、
上手くしていても、
やたらに自分でチェックするようになります。
最近は、分裂症を経験しているようだったりします。
ある日は光海君を演じて、
翌日はハソンになっている日も多いです。
普通 1人2役なら、
完全に異なる二種類の役をするのですが、
これは、元はと言えば三種類の役です。
光海君、ハソン、そして、
光海君であるように光海君の真似をするハソン。
そのディテールした差の水準を調節するのが、
すごく大変です。
現場で、二人の人物の雰囲気が完全に違うと言う褒め言葉を聞くと、
気分は良いですが、
実際に、その程度に雰囲気を確実に変えようとする私は、
物凄く苦闘しているのです。
俳優たちに与えられた能力である瞬間沒入、
こんなものたちが、ある程度あるからできそうです。

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by gomazokun | 2012-04-25 21:35 | その他翻訳