<   2011年 11月 ( 3 )   > この月の画像一覧
COSMOPOLITAN12月号
またまたazukiさんが訳してくれました^^
殿の発言は水色の部分です。

STAR STORY
A Man on the Way


デビュー以来一度もトップの座を失わなかったイ・ビョンホンは、
一人でコツコツとハリウッドに歩いて入って行った.
魅力的に輝いた目つきは、さらに鋭く光るようになったし、愉快な気配は以前と同じだった.
映画撮影のためアメリカに滞在している彼にカリフォルニアナパバレーで会った.


私は、昨日午後に韓国発サンフランシスコ行きの飛行機に乗って、
こちらナパバレーに到着しました.
ビョンホンさんは、ニューオリンズから飛行機に乗って、昨日夕方に到着したんでしょう?
地球の反対側ののんびりしたワイナリーで、
ビョンホンさんに会ったら、すごく特別な気がしますね.

撮影が、ほとんど最終段階に入りました.
3週間後なら、韓国に帰ることになりそうですよ.
アメリカを離れる前に、ちょっと特別な旅行がしたかったので、
どこに行くか悩んでから
世界的なワインの産地として有名な、
カリフォルニアのナパバレー地域を旅行することに心に決めたんです.
私はワインがすごく好きなのですが、
ナパバレーは世界的に有名なワインの産地なので、
是非一度来たかったんですよ.
歴史が深いワイナリーを訪問して、
カリフォルニアの美しい自然も満喫しながら、
久しぶりにひっそりとした時間を過ごしています



去年の夏から韓国を離れていたでしょう?
月で計算すると、あまり長くないのに、なんだかかなり昔のような感じがします.
その間どのように過ごしていましたか?
とにかく、身体がとても良さそうに見えますね.

アメリカには 7月中旬頃来て、
しばらく映画撮影のために多様なトレーニングを受けました.
トレーニングを受けて運動して、トレーニングを受けて運動して.
そのようにして8月中旬から本格的に撮影に合流したし、
今 3回分量程度が残りました.
ニューオリンズで、個人トレーナー、マネージャー二人、
スタントダブルで一緒に来たチョン・ドゥホン監督、
こんなふうに男五人で過ごしています.
あまりにも運動量が多かったので、
撮影がなくて休みの日には、本当に何もしたくなかったです.
何時間か、ぼーっと座っている途中で、
ハッと我に返ったことも何回かあったし.
今は、撮影がほとんど終わって、
たまにワインも一杯飲んで食事も正常にするので
再び自分のペースを取り戻したのですが



あっ、寂しかったですか.

はい. 韓国が、本当に、とても恋しかったです.
撮影のない日は、もっとそうでした.
男五人がアパートで、ぼーっとしている途中、
誰か一人がインターネットをむやみに検索するでしょう.
“わぁ、今のその映画やるって.”
“おもしろい. その映画見に行こうか?”
でも、そのように話していても、五人でずいぶん考えます.
行こうか、止めようか?
みんな、運動をあまりにもし過ぎたせいで、力がないし.
ところが、メニュー調節中だから、
キッチンへ行って鶏の胸肉のサンドイッチ五つを準備します.
そのようにお弁当をこしらえて映画を見に行ったり、
ある日は<スーパースターK2>とか
<スターオーディション 偉大な誕生>を見ながら時間を過ごすのが
最大の楽しみでした.
それでも Part1を撮影する時よりは、ずっとマシでした.
あの時は、単純に韓国から遠く離れた所にいるから、
あるいは知っている人があまりいなくて生じる寂しさではなく
映画のために生じた寂しさだったから


遠く離れているからではなく、映画のため生じた寂しさだから、それはどんなことですか?

韓国で私が今まで積んで来た俳優としてのイメージ、
そして私の世界というのがあるじゃないですか.
ところが、いきなり仮面を被って、
刀を持って来て空を飛び回る映画を撮らなければならないと思ったら
実際、混沌としたんです.
この映画をすることに決めてアメリカへ来て
撮影をして封切りするまでの期間は、
実際は、とても混沌とした時間だったんです.
誰にも話せなくて一人で悩んだし、
後で全ての責任を自分一人で引き受けなければならない
という思いのため辛かったです.
しかし、人々に、この映画がとにかく近づいて、
この映画の魅力が何なのか分かるようになったのか、
今度の映画を撮る時は、怖さが相当なくなりました.
それに、ハリウッドのシステムにもとても適応できたし.



(写真の中の文:“俳優になるまで私の人生は平坦でした.“
と言う彼の目つきは、少し疲れてだるく見えた.
かなり長かった海外滞在が、
彼には孤独と向い合う時間をプレゼントしたせいかもしれない.
しかし慣れて楽なものなどと別れる代わりに、
自分自身との新しい対決を始めた俳優イ・ビョンホンには、
このすべてのことが決まった運命であるだけだ.
甘くほろ苦い運命までも押し黙って受け入れる用意ができたこの男にとって、
孤独だから、疲れてだるいからということは、
彼が描く人生の軌跡に、ただ必要十分な何かであるだけだということを、
彼も分かっているし、私たちも分かっている.)


Part1の成功のおかげで part2のキャスティングが可能だったため
実質的に俳優イ・ビョンホンに対する待遇も
少し良くなったのではないかと思うのですが.
それから、撮影場雰囲気は、どうだったのですか?

はい、ものすごく良くなりました.
実際、Part1では監督と相談するとかシナリオに対して
お互いに深い話を交わすとか、
私のアイディアを提示するとかいう考えは、
敢えてできなかったです.
そんな話をするに値する雰囲気にもならなかったし.
でも今度は '私の影響が結構できたのか?'
という気がするほど
私のアイディアを話すと、
差し支えなければ受け入れる雰囲気でした.
この映画に一緒にキャスティングされた
ブルース・ウィリスとも気楽に楽しく撮影したんですよ.
皆がとても気楽に撮影する雰囲気でした.



韓国では一瞬もトップの地位を外れたことのなかったあなたが、
そんな混沌と生硬さの時間を持ちこたえながらも
ハリウッド映画に出演を決めたというなら、
何か遠大な意味のようなものがあったのではないかと思いました

おおげさな意味というものまではなかったです.
これといった目標というものもなかったです.
私はただ、自分がどこまでできるのか、そして、
自分が挑戦することができる力が、どこまで出てくるのか、
胸のドキドキが、いつまで続くことができるのかを
試してみたいという考え程度でした.
どこまで行くか一度見てみたいというそんな感じ



とにかくハリウッド進出の第一歩を成功的に仕上げて、
既に二番目の映画が来年に早速封切りすると思いますが、
グローバルスターという呼称は、あまり不自然じゃないという感じです.
グローバルスターになるということは、
結局、俳優としての影響力が、ますます大きくなること
を意味すると思うのですが、どうですか?

うーん、言わばそれはまるでコインの両面みたいな感じですね.
私を知っている人が多くなって、
私によって影響を受ける人が増えることを思うと、
実際、良い影響を与えなければならないという
プレッシャーが大きくなります.
しかし私は俳優を始めたし、今も俳優で、
今後とも俳優であるはずなので、
そんな負担に閉じこめられるようになれば、俳優としての私の色は
ますます褪せることがありうるという怖さも同時にします.
実は、その部分に対する結論は、もう下しました.
私が俳優として、とにかく仕事に臨む時は、
ジャンルでも役目でもストーリーに対しても、
とても自由でいたいです.
それから、人々に良い影響力を与えることも、
持続的にして行くつもりです



デビューしてから 20年です.
20年間俳優として生きていたあなたが、俳優という職業に対して、
どんな定義をつけるのか気にならざるを得ないです

自分が今まで生きていきながら感じた感情を極と極として、
自由自在に変奏して想像して表現し出すことが俳優だと思います



ビョンホンさんには、はじめから、
そのように感情を自由自在に変奏して極大化して表現する過程が、
ある程度は容易く感じられましたか?
演技の授業をまともに受けたこともなかったけれど、
大衆と評壇からいつも演技力を認められたビョンホンさんだったので、
その過程が難しくなかったと言う気がしたりするのですが

私は 20年俳優ですが、たまに
'私は今何をしているのだろう?' 、
'私が今しているのは演技なのか?'
そんな気がしながら、完全白紙状態になる時があります.
それで作品に入って行く前、
頭の中に絶えず私が引き受けた配役を描いてみて、
その人物に染まろうと努めます.
見えない形態を自分の目に見えるように繰り返す作業が、
俳優としての人生で 3分の 2を占めると思います.
しかし、その形態をまともに見られずに作品に入って行く時もあります.
そんな時はその作品が終わるまで、おびただしい苦痛を経験します.
私がどんな人物を演技するか分からなかったまま演技するのは、
それこそ '演技をする'という気がするようになるから.



ビョンホンさんのフィルモグラフィーを見ると、
ますます作品の頻度が増えるのが分かりました.
実はトップスターの地位が確固になるほど、
作品の数を減らして大衆から遠くなる方に、
つまり神秘主義を選ぶ何人かの俳優を思うと、
ますます多作モードに入って行くビョンホンさんのフィルモには、
確かに理由があると言う気がしました

今が私の人生で最も鋭敏で纎細な時でないかは
分かりませんが、
とにかく、徐々に時間が経つほど、
少しずつ鈍くなることもありうるという考えをするんですよ.
俳優としての私の最大の長所は、
おそらく真正性ではないかと思うのですが、
その真正性を毎瞬間持とうと努力することとは別個で、
私が俳優として全身の感覚をもう少しディテールするように
表現することができる時、
もう少し多く作品をすることが、
後で後悔しない人生であることができるという考えをしました



後悔しない人生を生きるということ、重要なことです.
これからの人生が、どんな姿だったら良いと思いますか?

私の人生は、平坦だったら良いです.
でも私の映画人生は、スペクタクルだったらと思います



今までの人生は、平坦だったと思いますか?

概ね名前が広く知られた俳優やアーティストたちは
その職業を持つ以前の人生がとても屈曲が多くて、
あまりしてみることができない特異な経験を
たくさんした方でしょう.
そこで演技の深みが生じて創造的な何かが出たりするから.
でも私は、実はものすごく平坦な人生を生きていました.
俳優になって多くの人々に知られるようになるから、
それ自体が、私には、これ以上の平坦さを許さないのでしょう.
俳優の人生が、どうして平坦にすることができますか.
派手な時もあるし、ものすごく良くない時もあるでしょう.
このようなことが、決して緩くないグラフのように
軌跡を描くようになるから、
平坦な人生と遠くなったな、そんな考えをするようになります



平坦ではないこと、大丈夫ですか?

私は平坦な人生になるように望んだけれど、
俳優になった以上そうではないんですよね.
私は、ただ耐えてぶつかって行かなければならないのでしょう



ビョンホンさんも、失敗を経験して後悔した記憶がありますか?

私は後悔しないです.
すべてのことは自分の業報で、
自分の運命であるだけだと思っています



インタビューの度に外せないのは、
たぶんあなたの恋愛と結婚に対する質問のようです

共通点が多い人だったら良いです.
私より賢明だったら良いし.
それから、その人に初めて会った瞬間には、
胸が震えたらと思います.
私の年齢くらいになると
'あぁ、この程度なら気楽だな'という考えで
結婚を決める人々もいますよね?
私はそれでも、最小限、私がその人と結婚すると決心する前までは、
強烈な胸の震えがあったらと思います.
そんな人とワインを一杯飲みながら多くの話を交わす、
そんな恋愛をしたいです.
結婚は当然したいですが、
時間がもっとたくさん経つとできないかも知れないという危機感は、
確かにします



もう何週間か後韓国に帰ると、
また他の試みと決定をするようになるでしょう.
今後の計画は、どのように立てているのか気になります

確実に決まったものはないです.
私はいつも無計画でした.
誰かが私に目標が何なのかと尋ねると、
頭の中が真っ白になる感じさえします.
計画をして生きるスタイルだったら、
私には、もう妻と子供もいたのだし、
とにかく普通の男たちのようにノーマルな人生を
生きていたかもしれません.
無計画の中で生きるということは、
それを楽しむことができる限り大丈夫だと思います.
'次は果してどんな作品が私に来るのか?' 、
'次回は何が私の胸をドキドキさせるのか?'
そんなことに対する期待があるから.
私は、完壁とはほど遠い人ですが、
私が行くことができる限り、
一生懸命私の前に置かれた道を行ってみたいです.
今までそうして来たように

[PR]
by gomazokun | 2011-11-26 22:14 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (5)
7. 映画監督と映画俳優は、どんな方式で一緒に創造するのか?

映画俳優は監督(そして製作者と投資者)に選択される前には、
仕事に着手することができない、
イニシアチブを剥奪された奇妙な境遇の芸術家だ。
俳優に監督が重要な二番目の理由は、
監督の業務が映画演技の有機的構成要素だからだ。
映画の演技は、ショットの大きさと持続時間、編集が作る衝突、
音楽と美術、そして特殊効果と一緒になり、
最終的効果を観客に発揮するのだが、
そのすべての要素を総括する主体は監督だ。
話しても話さなくても俳優たちは、この点を鋭敏に意識している。
「ゴッドファーザーPARTⅢ」でシチリアを訪問した
マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の演技に関する
ハ・ジョンウの観察を聞いてみよう。
“そのシーンを見れば、アル・パチーノが直接的に演技しなくても、
カット割りと音楽とフラッシュバックが彼の演技を助けます。
おかげで俳優は、シンプルに行っても良いのです。
アル・パチーノは、その総合をあらかじめ分かっていたのでしょうか?
そんなことを思えば、敢えて俳優がフレームの中を、
すべて満たさなければならない必要はなさそうです。 ”

大多数の俳優が所有した監督の概念は“全体を知る人”だ。
作品全体のバランスに関する問題は監督に
任せるしかないという意味だ。
コ・チャンソクは“演劇は観客と接触する前方に俳優がいます。
演出と多くの論議をしますが、
最終的コントロールは俳優の分け前です。
一方映画は、私がどう考えて演じようと監督によって編集されます。
だから私が少し理解できないとしても、
監督の考えを理解しようと努力する必要が生じます”と言う。
ハ・ジョンウは、俳優が最優先で理解する要素はキャラクターではなく、
それを作った監督の気質と方向、意向という意見を、
控え目に打ち明ける。
イム・スジョンは、ここで一歩 (可愛らしく)さらに進む。
“キャラクターと作品には、監督の気質と人間観だけではなくて、
ちょっとした好みまで込められていると思います。
監督の多様な人間的様子が、
ちょっとした小道具にも現われる時があります。
だからいつも監督たちを観察します。
「サイボーグだけど大丈夫」でヨングンが、
しばしば使う 'おお' という感嘆詞は、
実はパク・チャヌク監督の癖から出ました。
例えば 'すべての監督は俳優になりたくて監督をする'と言う
チェ・ドンフン監督(「チョンウチ」)は、
演技の演出をする時、直接試演をしてみせるタイプです。
核心を伝えたいのに方法が分からなくて直接して見せるのです。
だから私は監督の試演をそのまま真似するのではなくて、
そこで核心だけ読めば良いです。”
と言うが、ふと気になった。映画を作ってみると、作品の著者は監督でも、
人物について一番多く悩んだ俳優は著作権を
主張したい瞬間が来ないのだろうか?
“それで俳優たちは言ったりします。
'何故そうすべきなのでしょう?
私ならそのようにしないように思うのですが。'
その時監督たちは、少したじろいだりします。
誰より俳優がその人物に身近にいることを直感しているから。
イ・ビョンホンの経験談だ。
監督と俳優は、人物に対して当然異見を持つことがありうる。
ソ・ヨンヒは、映画の基本的方向は、
共有する中で俳優がまだ予想できない演技を見せてくれる時が
最上の雰囲気になると笑いながら言う。
俳優と監督の感情のもつれと紙一重だ。

それなら監督はどのように俳優を助けることができるのだろうか?
韓国映画の主要作家たちとすべて
等しく作業して来たソン・ガンホは、
監督の良い演技演出を簡単に定義する。
“演技をよく引っ張り出す監督の方式は、
基本的にまったく同じです。
俳優が創意力を発揮することができる環境を作ってくれるのです。”
俳優がキャラクターを作る過程に対する
イ・ビョンホンの隠喩は次のように続く。
“結局人物の正面を見ることができなければ、
監督が前で持って立っている鏡に映った反映を見て演技したりします。”
ソ・ヨンヒの記憶は、より切なくて具体的だ。
彼女のデビュー作 「嫉妬は私の力」のパク・チャノク監督は、
カメラのメカニズムに無知だった彼女に、
相手と目を合わせない演技も虚飾ではないことがあるのを
注意深く説得してくれた。
ただ、俳優たちの証言で推測するにしても、
監督の演技の演出には要領が必要だ。
たとえば “彼はお母さんと係わるトラウマのため女性を
憎悪して”のような観念的規定は、
俳優を助けるどころか、縛りつけることがありうる。
いっそ “彼は今酸素が不足でトッポキが食べたくて”
のような話が流用することができるという話だ。
オ・ダルスが指折る一番易しい演技
ディレクションは 「オールドボーイ」で
パク・チャヌク監督がかけた“あいまいに演じてくれたら良いでしょう”だ。
そうしたところ、少し後、
模倣フィルムを準備したんですよ“と彼は付け加える。
イム・スジョンは 「箪笥」のキム・ジウン監督が
した演技演出を次のように記憶している。
“この場面では、はじめと終わりが、
このような状態と描写されませんでした。
代わりに、映画を準備して私的に交わした対話の印象的部分を記憶して、
感情を思い出させてくださいました。 ”


8. 俳優は与えられた配役の他に、どのように映画の創造に寄与するのか?

俳優が満たすところを正確に区切っておいて、
最善の技巧で満たしてくれることを期待する映画があって、
俳優によって、
その映画の話と態度まで初めて完成される映画がある。
監督たちは、頼もしい俳優を得た時、
彼らを創造的パートナーとして眺める。
ファン・ジョンミンは、演出に対する創意的寄与は、
俳優の基本責務の中での一部と考える立場だ。
“それでこそ映画が豊かになります。
将棋を置く当事者には見えない手段が第三者には見えて、
入れ知恵を置くようです。”
ファン・ジョンミンは 「不当取引」での彼のキャラクターが
部下刑事を偶発的に殺害して
現場を操作する場面を撮影する時、
多くのカットに分ける代わりにジミージブ(小型クレーン)を利用して
1テイクで撮る方がずっと力があると提案した。
自らあまり創意的な俳優ではないと思って、
なかったシーンも作り出す男優たちに感心していた
チョン・ドヨンは、近作 「カウントダウン」で、
自分でも分からない間にシーンを再構成する過程で
参加している自分にびっくりしたと言う。
“長くしてみると、見えなくても良いことが見えるようです。 (笑い) ”
そうでなくてもアイディアが多いことで有名なイ・ビョンホンは、
トラン・アン・ユン監督との「I come with the rain」を
撮りながら極限体験をした。
映画の主題についてどんな糸口も与えられていない状況で、
自立心がわき出たのだ。

ソン・ガンホの原論的な簡潔な答えは、
質問者を恥ずかしくさせる。
“元々俳優を通じて何かが創造されることを望んで、
彼をキャスティングするのではないですか。
いくらジャンル映画の中での定型化されたキャラクターだと言っても、
選択した俳優が、
それを具体的に発散することを望むものです。”
一方イム・スジョンは、私たちの皆が感知していたが、
文章で書くことができなかった真実を確認してくれる。
“俳優という存在自体が、
監督と映画人にインスピレーションを起こす部分があるようです。
まるで人形遊びをするように、
俳優にあらゆる服を着せてみるのです。”
映画製作で俳優の寄与するクリエィティブは、
本人が扮するキャラクターに対する
アイディアを提供するのにとどまらない。
もしかしたら彼らは、擬人化された、
私たちが夢見る代案的世界だから。
“レディー、アクション!”の瞬間、彼らは…

チョン・ドヨン
“さあ、シュート入って行きます”とカメラの前まで
歩いて行く何秒間は
'あぁ、死にたい' という気持ちです。
頭の片隅では上手くするということを分かっていても、
上手くできるまでは、すごく、本当に、おぉ!

コ・チャンソク
“アクション!”は、吸い込まれるブラックホール、
“カット!”は、すり抜けて来るホワイトホール。
その中でどんなことが起こるかは誰も分かりません。


ソン・ガンホ
もろ刃の草を刈る道具の上に上がるのです。
喜悦を感じますが、下手するとケガをするから。
それがまさに芸術の本質だと。

キム・サンギョン
“開けゴマ!”と魔法の扉を開く呪文と一緒に別の次元に移るのです。
スレートを打つ音ほど美しい音はないですね。

オ・ダルス
NGというものがあるから、それを利用しなければならないですね。

ソ・ヨンヒ
すべてのスタッフが私を信じているから、
その信頼に対する裏切りは防がなくてはいけないと言う緊張感です。
ところで“感情を掴むようにみんな静かにしてください!”
という配慮はすごく負担です。
しないでください、どうか。

ファン・ジョンミン
レディー、アクションのサインは、私に大きな意味はありません。
一番重要な瞬間は、その時ではないのですよ。

イ・ビョンホン
俳優もスタッフも、その瞬間の心情は、変わらないと思います。
俳優はスタッフを気楽に思うことが必要です。
それでこそ“カット”してから友達や家族に尋ねるように、
時には応援を時には鋭い指摘を求めることができるから。

イム・スジョン
生まれてそんなことがないくらい自分自身に集中するので、
それで私が消えます。
私とすべてのスタッフは '私たちのチーム'ですが、
その瞬間だけは1 対多数の構図になって、
誰も私を助けることができません。
私がすべてのことを統制することができる幸せと寂しさが同時にあります。
[PR]
by gomazokun | 2011-11-23 23:04 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (4)
5. モニターは、俳優にとって、何に使う物なのか?

1990年代末現場モニターが韓国映画に導入した以来、
カットシーン直後、モニターの前に集まって来る
俳優、助監督、 撮影監督の姿は、
撮影現場の代表イメージになった。
演劇や TVドラマ演技者たちと違い、
映画俳優たちは微分された単位で演技を復碁することができる。
ふと必須不可欠なように見えるモニターは推測と異なり、
俳優たちに制限された用途の道具だ。
まず俳優が体感する感情の強度に外的表現の
水位が照応しているのか点検する使い道が基本だ。
モニターで、まず自分がきれいで格好よく
捕えられているかチェックする人の常は、
俳優たちにたびたび落とし穴になったりする。
デビュー作 「嫉妬は私の力」でソ・ヨンヒは、その危険を悟った。
“率直にモニターで何を見ろというのかも分からなかったです。
ところが水着を着て電話に出るシーンで、
私は、いつのまにか腰をまっすぐに伸ばしていたんですよ。
実生活での人々の姿勢は、少し曲がっているのではないですか。
ところが、お腹の肉が折り畳まれているか心配で、
無意識的に気を遣ったんです。
私が気を遣わなければならないのは、
お腹の肉ではなく状況なのに。”
まっすぐな好男子の演技を
たくさんしたキム・サンギョンは 、
「生活の発見」で、お酒を飲んでほんのり
赤い顔で下品な言葉をしゃべる
モニターの中の '格好を見るのも嫌な
' 自分の姿にびくっとしたが、監督を信じて押し通した。
封切り後彼は反対の衝撃を受けた。
“確かに私の身体と精神を使ったのに、
私の知らない私がスクリーンにいました。
俳優として、そのように夢見た
新しい人物がいました。
俳優たちは、大衆が、
自分のどんな姿を好むのかよく知っています。
しかし、そのように嫌な姿が集まって別の人物になるのです。”

デビューの時からモニターが現場にあった世代の
イム・スジョンにとってモニターは、
身体のどの部分まで使うほうが良いか早く計算して、
カットの総合的意味を迅速に把握するように助ける道具だ。
もう彼女は経験ある俳優が、そのように小さくて
画質が落ちるモニターに表現された演技が
スクリーンのそれと隙間があることを考慮するようになった。
“顔面の筋肉をとても自由に使う俳優ではなくて、
目で感情をたくさん表現するのが私の短所と同時に長所なので、
モニターとスクリーンで感じられる表現の強度が異なっていると、
後半作業の過程で監督が 'スジョンさんは、
あのように演技したのか?' と考えるという場合があります。”



6. リアクション演技は、何故重要で、俳優にどんな満足を与えるか?

'演技はリアクション'という言葉が、
人が絶対的なよりどころとして守るべき
規則として引用されて久しい。
観客が目の主導権を握る演劇では、
話している俳優が視野を占領するが、
映画と TVでは、ただ聞いている
人間の顔が多くの時間画面を占有する。
言葉を交わす演技、良い。
しかし1台のカメラを使う映画現場でリアクションは、
相手俳優と目が行き違ったまま、
時には初めから相手がいない状況で成り立ったりする。
すなわち、相手がついさっき言ったか
5分後に言うせりふを、
そっくりそのまま内面に抱きながら
そこに言い返さなければならない。
ハ・ジョンウの親切な解説を聞いてみよう。
“リアクション単独撮影が可能なのは
リハーサルのおかげです。
シーンのはじめから終りまでを
マスターショットで撮るリハーサル過程で、
シナリオに提示されていない状況
-石の突き出た部分を避けるとか、通行人が眺めるとか-
と突き当たって、監督がその中の相応しい部分を
リアクションで選択することになります。 ”

リアクションが持って来る相乗効果を、コ・チャンソクは、
実力のある相手に会えば本人も上手く
打つように感じられる卓球競技に喩え、
ファン・ジョンミンは、お互いの気を交わす間
ますます直径が大きくなる円に比べる。
このようなシナジーを置いて
西洋のある俳優は
“演じてみると必ず、
私が後退の演技をすれば
相手が殴り飛ばすような瞬間が来ます”と描写したりした。
オ・ダルスにとってのリアクションは、
単にカメラの前の問題ではない。
“日常で良いパートナーになってこそ、
舞台でも良いです。
しばしば会って話しながら、
相手に対する様々な部分を自分自身に植えるのです。”
ソン・ガンホは、映画のリアクションは演劇のそれより、
より少なく決定的だと見る立場だ。
“演劇でのパートナーは、公演の成敗に決定的ですが、
映画は多少合わないとしても、
それが私の演技に致命的影響を及ぼすとか妨げはしません。”

新人時代からリアクションの
大切さを深く理解する俳優に見えたイム・スジョンは、
「箪笥(原題:長靴、紅蓮)」の経験を忘れることができない。
“「箪笥」を撮っている間、
グニョン(ムン・グニョン)が、どこかで泣いていれば、
私も一緒に泣いていたし、
私の気分が良ければグニョンも幸せでした。
今振り返っても、
理解することができない感情的結束がありました。”
リアクション演技で一編の映画を導いて行った俳優では、
チョン・ドヨンが一番だ。
「素晴らしい一日」でのチョン・ドヨンは、
原作小説よりずっと躍動的に動く相手役
ハ・ジョンウのサーブを始終受け抜いた。
“シナリオのビョンウンは、原作よりスポーティーだったし、
ハ・ジョンウさんが、それをさらにダイナミックにさせました。
だから努力するのはビョンウン一人で十分だし、
私はただ感じていよう、そのように思いました。
易しくなかったです。”
ところがこれは、
チョン・ドヨンが自ら招いた(?)面がある。
ハ・ジョンウ後輩の証言。
“何をしてもドヨン先輩がすべて受けてくれました。
それで約束は守るけれど、
その中でさらに即興的に突発行動をすることになりました。”
ところで、それ以前に私たちは 「初恋のアルバム 人魚姫がいた島」
を記憶しなければならない。
チョン・ドヨンは、そこで 1人2役を演じながら、相手俳優の代わりに
位置を表示するテニスボールにリアクションをした。
“難しかったです。
人の目を見て演技する時と、
点を見て演技する時は、目の深みも変わります。
だから、その差をよく知っている良い俳優たちが、
自分がカメラにかからなくても、相手俳優が要求しなくても、
リアクションを取る時横で声だけででもボールを投げてくれます。”
[PR]
by gomazokun | 2011-11-12 22:29 | その他翻訳