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CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (1)
秋夕(チュソッ)も過ぎたのに
残暑が厳しいですねー
その秋夕にチャンネルCGV で放送された韓国映画の特集の記事です。
テレビのほかに雑誌のインタビューもあったんですね
CINE21に載った記事をazukiさんが翻訳してくれましたので
アップしますねー
長いのでここから順番に読んで下さいね(w



コ・チャンソク、キム・サンギョン、ソ・ヨンヒ、ソン・ガンホ、オ・ダルス、イ・ビョンホン
イム・スジョン、チョン・ドヨン、ハ・ジョンウ、ファン・ジョンミン…
あらかじめ見るドキュメンタリー 『チャンネルCGV 大企画 映画の力』を通じて
出会う映画の演技論

映画の演技に関する論議は、常に旱魃だ。
映画の成分の中で、最も予想できない元素が俳優なのだから、
これは不可避なことで、
単に韓国だけの現象でもない。
演技の秘密を論じるのが難しいのは、当事者である俳優たちも同じことだ。
“私が今、俳優は、なんだかんだ、演技は、ああだこうだと話したとしても、
本当は、死ぬ10分前にでも話せることのようです。”俳優オ・ダルスの吐露だ。
イギリスの俳優ポール・ベタニー
(「マスター・アンド・コマンダー」「ドッグヴィル」) もやはり、
セックスと演技は、している間は尽きることなく楽しいが、
それについて話すのは、死ぬほどきまり悪いという点で
まったく同じだと情理したことがある。
しかし、壁が高いほど見物人の騒ぎは酷くなるのが道理。
「CINE21」は、チャンネルCGVが創立 10周年を迎えて用意した
4部作のドキュメンタリー
『チャンネルCGV 大企画 映画の力』 (製作イノストーリー) 中、
俳優の演技にスポットをあてた『俳優を見た』編に参加し、
現在盛んに活動している韓国俳優たちに、
映画の演技の実際と経験的演技論を傾聴した。
俳優コ・チャンソク、キム・サンギョン、ソ・ヨンヒ、ソン・ガンホ、オ・ダルス、
イ・ビョンホン、イム・スジョン、チョン・ドヨン、
ハ・ジョンウ、ファン・ジョンミン(以上 カナダラ順
*ハングルの音節順・日本語でいう五十音順))が取材に応じてくれた。
貴い体験と洞察を分けてくれた俳優たちのうち、
ソン・ガンホ、チョン・ドヨン、イ・ビョンホン
ソ・ヨンヒ、イム・スジョンのインタビューはキム・ヘリ記者が進行したし、
キム・サンギョン、コ・チャンソク、オ・ダルスのインタビューは
『俳優を見た』を演出したパク・ミソンPDが、
ファン・ジョンミンとハ・ジョンウのインタビューは、イ・ヒョンジョン作家が進行し、
貴重な録画取材記録を伝えてくれた。
演出、演技、シナリオ、技術に分けて映画が発揮する
魔力の内幕をうかがおうと試みた 『映画の力』4部作は、
チャンネルCGVを通じて 9月10日『俳優を見た』を始まりに 9月17日 『監督、語る』、
9月24日 『私はシナリオだ』、10月1日 『テクノロジー嘘をつく』編の順で、
一ヶ月間毎週土曜日夜 8時に放映される。



1.俳優は人物を、どのように準備するのか?

あなたの職業が、映画俳優と仮定しよう。
契約書にサインが書かれて、クランクインの日取りも出た。
今後数ヶ月間何某として生きろという定言命令が下ったのだ。
映画も俳優もフリープロダクション期間だ。
おそらくあなたは、キャラクターをこと細かく分析することもできるし、
人物が入って来る所を用意するために自我を消すのに
専念することもできるだろう。
もちろん大部分は折衷だ。いくらなんでも直観に期待する俳優だとしても、
悩みなしに現場に行こうとするはずがない。
キャラクターが騎手なら乗馬を、
料理人ならフライパンを動かす姿勢を身につけるのは基本だ。
それでも本当に騎手や料理人になる必要はない。
関連した場面で頼もしい '真似'をすることができる水準で十分だし、
実際にもそれ以上は不可能だ。

よく言うように、俳優は他人の人生にどう潜入するのか?
イ・ビョンホンが強く共感すると言って聞かせた比喩が役立ちそうだ。
“私の前で人物が後ろ姿だけ見せてずっと逃げます。
俳優の私は、彼を捕まえて肩を回させて
顔を見ようと必死になるのですが、
ある時は、こっそり後ろだけ振り返って止めることもあります。
はなはだしくは、最後まで人物の正面を見ることが
できなかったまま撮影を終えることもあります。”
まず役を緻密に準備して勉強し、
その過程を心から楽しむ俳優たちがいる。
学者のように真摯で軍人くらい規律が
固い俳優ハ・ジョンウもこれに属する。
“既存の映画の類似のキャラクターと、それに扮した俳優を調査して、
三、四の作品に絞って調べてみます。
周辺で似ている事情を持った人も探してみます。
主題と係わるドキュメンタリーと資料も収集します。
このように探した標本の人物たちの行動パターンを通じて、
演技表現の方式をモデリングする部分もあります。”
ハ・ジョンウが扮した「素敵な一日」のチョ・ビョンウンは、
「キッド」のチャップリンを、
「国家代表!?」のヒョンテは
「ハンコック」のウィル・スミスを参照したという事実は、
多くのインタビューで言及された。
同じく大学で俳優として典型的な訓練を受けたキム・サンギョンも、
シナリオがないホン・サンスの映画を除けば、
人物の仮想自叙伝を書いて関連資料を読む。
「光州5・18(原題:華麗なる休暇)」を控えてからは
望月洞の墓地を訪問し、
光州抗争で犠牲になったあどけない学生の写真を
携帯電話に取り込み、随時のぞき、
そのイメージを心に植えておいた。
取材は作家だけの業務ではない。
キャラクターを現場で、ああだこうだと再論したがらない
(“現場ではただ狂ったように走りますよ。”)
ファン・ジョンミンは、 1994年の記者に扮した
「モビーディック」のキャラクターを構築するため、
現在局長級、部長級にある報道人をインタビューした。
ただ、彼の得た情報は心理ではなく外的事実たちだ。
一週間に家に何度帰って行ったのか、
主に履物は靴の種類は何だったのか、
締め切り時間に編集局でタバコを吸ったのか等々の
ファクト(事実)たち。
“態度や行動は個人ごとに違うことだから尋ねてみる必要はないです。”

実存/虚構のモデルを置いてキャラクターの輪郭を掴む方法の中で、
オ・ダルスの仄めかした例が面白い。
“俳優たちはモデルを探すことができなければ、
動物にたくさん喩えます。
この人は兎だ、オオヤマネコだ。
「渇き(原題:コウモリ)」の場合、
捕まれば死んだふりをする狸を考えました。”
動物は心理より外観と動きに対するヒントのつもりだろう。
コ・チャンソクもやはり、人物の性格は
現場で相手俳優と向き合う前までは確定することができない部分だから、
事前準備は衣装と外観に集中する方だ。
たとえば、階級によって変わる身体の重さ重心。
「仁寺洞(インサドン)スキャンダル」の追われる社長を表現するため、
コ・チャンソクは、若干身体をひねる歩き方を選んだ。
俳優たちが行う多様なリサーチが、
模倣する手本や表現の正解を捜そうとする
努力とだけ思っていたら狭い理解だ。
ハ・ジョンウは、既存の演技を観察する時、
名優の技巧を観察するだけでなく、
その表現がどのように全体の叙事の展開に
寄与しているかどうかに注視する。
ひいてはキム・サンギョンは、実在が俳優に与える、
ある'機運'があると付け加える。
技術的準備にあたる身体作りも肉体美の問題だけではない。
イ・ビョンホンは“「グッド・バッド・ウィアード
(原題:いい奴、悪い奴、変な奴)」のチャンイを準備しながら、
トレーナーを置いて作った身体というより生きるために丈夫に強くなった身体、
そうそうアイツを殺せないと言う感じを与えようと思いました”と説明する。

そうかと思えばソン・ガンホは、人物の全面的構築より、
ポイントをかいつまむ類型の俳優。
“たとえば人物がホームレスなら、
汚らしい身なりとか常識的な何種類かのコードがあります。
ところが俳優は、そのコードたちを全て取り除いても、
彼をホームレスにさせる本質を探さなければなりません。
それをつかめば、観客は、
ホームレスの実体をもっと深く受け入れるようになります。
よく言う日常性は日常的ではなく、
断面を通じて生き生き現われるものです。
虎を見せるとしましょう。縞模様のある全身を描くより、
猫のように柔らかい毛の中に隠れた
鋭い足の爪だけ描いてみせる時、
虎の実体の与える恐怖は大きくなります。
こういったことを探し出すのが真正な表現です。”
「ビー・デビル(原題:キム・ボクナム殺人事件の顛末)」で
存在感を固めたソ・ヨンヒも、
キャラクター構築の強迫から自由な方だ。
“私がする役なら、私が表現するままに出てくるものが
ふさわしいものという厚かましさが生じました。
前もってとても悩むとしても、
行動に対する合理化にしかならない場合が多かったです。”
そうかと思えばイム・スジョンが、
キャラクターに近付く1段階は、
人物を掘り下げるより退くことだ。
監督あるいは観客の目になって頭の中で一人だけの
映画を最初から最後まで撮ってみる遊び。
“まるで監督になったように、私なりにシナリオを映像化して想像します。
一人で劇場に座ってまだ撮れない映画を見るように。 ”

逆の発想の質問を投げてみよう。
俳優は必ず人物を完璧に理解しなければならないのだろうか?
俳優と監督が人物像を正確に共有するのが
必ず最善の結果につながるのだろうか?
演劇やドラマの場合、答は当然“そうだ”のようだ。
しかし、より偶然に開かれている映画は違わないのだろうか?
この疑問を抱くようにさせた俳優は、チョン・ドヨンだ。
彼女は 「ハッピーエンド」「シークレット・サンシャイン(原題:密陽)」
「ハウスメイド」関連のインタビューで
本人が表現する女たちを理解することができないと吐露しておいて、
毎回素晴らしい結果を出した。
チョン・ドヨンは答える。“映画を始める頃には、人物を、
監督の頭の中を、
みんな分かって入って行かなければならないように思っていたのに、
だんだん愚かだったという気がしました。
ところが現場で演技しながら人物の '状況たち'を経験してみると
'ああ、そんなこともあるわ'と言う考えが生じます。
”言わば、生きてみると分かることだ。
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by gomazokun | 2011-09-19 22:16 | その他翻訳