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「韓国映画の軌跡 -アン・ソンギとその時代-」
シンポジウム
「韓国映画の軌跡 -アン・ソンギとその時代-」

パネリスト
アン・ソンギ(映画俳優)
イ・ヒョイン(慶熙大学校演劇映画学科教授)
寺脇 研(京都造形芸術大学芸術学部教授)
八尋 義幸(福岡市総合図書館学芸員)
佐々 充昭(立命館大学文学部教授:司会)

かなーり内容が濃い2時間(また時間オーバーして2時間10分くらいでした)だったので
このレポートはあくまでも抜粋です(途中で聞き入ってしまってメモ飛んでしまいました)

★80年代以降の韓国映画の事情とアン・ソンギ
イ: ペ・チャンホ監督とアン・ソンギのコンビがその時代の映画業界を牽引していた。
   二人のコンビによって60年代以降、見ごたえのある映画を世間に知らしめてきた。
   パク・チャヌク、ポン・ジュノはこの流れたら出てきている。
   90年代に入るとサムスンが映画に投資をするようになり、
   その第1号の作品が「トゥ・カップス」で、その作品にもアン・ソンギは出演している。
   金融危機の際にサムスンは一旦撤退し、
   99年に再び投資を始める、その作品が「情け容赦無し」でそれにも出演している。
   今の韓国映画の状況としては難しい局面になっている。
   原因としていくつか検証してみると
   ①人的な問題は見当たらない
   ②映画製作システムはもう少し合理的になればいいが、大きな問題はない
   ③一番重要なのは投資と配給システムだ。投資が減少しており年間の製作本数が
    100本程度から60本程度になってきている。この問題を解決するためには
    先日アン・ソンギも話したように予算の大きなものも必要だが、
    より多様化した投資システムが必要である。
★韓流ブームが起こった背景
八尋:「鯨とり」は80年代の韓国映画の最高傑作と言える、興行成績も1位であり、
    古典的な代表作のひとつといえる。    
    「鯨とり」「ディープ・ブルーナイト」は日本における韓国映画の認識を変えるきっかけとな
    った作品である。
    80年代に池袋西部の中の『スタジオ200』でこの2作品を始め韓国映画を
    上映していたが、その観客の中に現在のシネカノン代表の李鳳宇などがいた。
    そのスタジオ200に85年と88年にアン・ソンギに来てもらったことがあり、
    85年はそれほどでもなかったが、88年には今の韓流ブームのはしりのような
    女性たちが殺到した。
    (ここでその当時のアン・ソンギのチラシを見せ「イ・ビョンホンにもにてるでしょー」と発言
      →それってアン・ソンギさんの立場が。。。でも、確かに似てました。。。)
    アン・ソンギは韓国のジャンポールベルモントである。
    88年からは一般の映画館で韓国映画のロードショー公開が始まった
寺脇:自分は日本映画しかみない人間であったが、98年金大中が登場し、
    日本文化を受け入れる中で自分の考えも変わり、韓国映画を観るようになった。
    韓国も平和、人権問題など日本と同じ悩みを抱えている。
    イ・ビョンホン、ペ・ヨンジュンの顔がいいとかだけでなく、共通の心に響く部分があるから
    ブームが起きているのではないか?
    アン・ソンギは「ピアノをひく大統領」「ラジオ・スター」など『こんな人がいたらいいのに』と
    いう役を演じているし、観ている人をそう思わせてくれる。
    韓国でも日本でも同じようにそう感じさせれる。
    お互いに諸所の問題の解決に向けての糸口が見つけられるようになれればいいと思う
アン:私がここにいるから、みなさん誉めてくれるのでしょう(笑)。ありがとう
    85年にスタジオ200の行事に参加したことは個人的にも重要なことであった。
    そこで私は日本人の監督、小栗康平と出合い、そして彼の作品「眠る男」に出演する
    こととなった。
    当時のスタジオ200の観客の中には韓国語を勉強するために映画を観に来ていた人も
    少なからずいた。
    そこから韓国映画に興味を持った人もいるし、
    私が教えたつもりはないが、私の出演作品を見て韓国を覚えた人もいるから、教えたつ
    もりはないが、私の教え子がいる(笑)
   
寺脇:98年に金大中大統領が日本大衆文化の段階的開放を行い、
    日本映画を完全に開放した。
    それが大きな機転になった。それまの韓国では自由に日本映画を観ることができず、
    VTRを個人的に入手してみるしかなかった。
   日本映画を開放したことで韓流が始まったかもしれない。
   80年代~90年代前半は日本で韓国映画を観ることができたが、
   韓国では日本映画を観れない。
   そこに不満と心理的な負担が非常にあった。
   韓流は韓国の文化が火山が爆発するように起こった。
   民主化され表現の自由、新しい世代のスタッフ、大企業の資本参加、
   それらがあいまって爆発したようにブームが起こり、席巻した。
   2、3年前から韓流は小康状態になり落ち着いて来たが、私は不満ではない。
   一方的なことになると無理が起こる。
   これからはお互いに交流が起こっていけたらいいと思っている。
八尋:韓流ブームが起こったのは金大中、盧武鉉時代にイ・チャンドン監督が周囲の反対攻勢
   にも負けずに自由化を進めた。
   相手の国が日本映画を観ないと、心から楽しめない。年間の公開本数は減っていない。
   大箱ではないところでも韓国映画を上映している。
   韓国と日本でほとんどタイムロスなく映画を観れるようになってきている
   (ごまたはこの意見にはちょっと?と思いました「奴」はタイムロスありありだ)
   ただ、日本人全体が韓国映画を楽しんでいるわけではない。
   「光州5・18」を日本の政治家向けに上映したが、光州事件を知らない政治家もいた。
   もう少し、日常レベルでの文化交流が広まれば良いと思う。
イ :韓流の正常化に賛成する。日韓で映画の学会誌を作ろうという話も出てきている。
アン:60年代、香港、台湾に居を構えて活動する先輩は沢山いた
   軍事独裁が始まり、映画は沈滞し暗黒期に入った。
   いろいろなメディアはあるが、映画ほど影響力、破壊力を持ったメディアはないと思う。
   ひとつの映画からその国の文化を知ることができる。
   文化は国益よりも上位のコンセプトであると思う。
   政治、経済に左右されると消費的、消耗的になり発展的にならない。
   一般的に衝突が起これば事故となるが、文化は衝突によって新しいものが生まれる。
   政治経済がどうであれ、交流して衝突することによりお互いによいものを作り出せる。

★韓国映画を見た感想を聞かせて欲しい。
アン:景色美が優れている。世界中に影響を及ぼしたと思う。
   80年代半ばに日本人に「お勧めの日本映画はないか?」
   と聞いたところ「ない」といわれた(笑)
   90年代後半に良さを取り戻している。
   数年前CINE21で韓国映画人に「5つ好きな映画を選んでください」
   というアンケートを実施した。
   そこで、私だけが選んだ作品がある。それは「shall we dance?」だった。
   cine21の編集者も好きな映画だったが、評論に値しない商業的な映画だから
   言い出しにくかったといっていた。
   日本映画はもっと良くなるし、世界から愛されるでしょう。

★小栗康平監督の撮影現場の様子と、日本と韓国の現場の違いについて教えて欲しい。
アン:小栗監督が特に独特だとは聞いたが、静的で、芸術性を求めた映画であったので
   変わっていたのかもしれないが、中国はわけがわからないほど五月蝿い(笑)
   それに比べて日本は本当に静かで慎重で一糸乱れずというスタッフには感銘を受けた。
   韓国はその中間という感じだ。
   小栗監督の「眠る男」という映画では本当に眠るシーンばかりで
   「アン・ソンギは寝ているだけじゃないか」と言われかねない。
   そこで監督と何度も話し合いをして、3度ほどまぶたが動く”演技”をした(笑)

★韓国映画の今後について
イ :2004年ごろには韓流映画はもうすぐ香港と同じように衰退するだろうという話が出ていた。
   しかし、香港映画は無くなったわけではない。
   主要な俳優がハリウッドに進出したのだ、だが、新しい俳優が出てきて、
   新しい香港映画を作り上げてきている。
   韓国人は日本映画を偏った見方をしている。グローバル化で活気づけるということも
   大事であるが、産業的マインド、文化的マインドの両方が必要だと思われる。
アン:今の韓国映画界で活躍している先輩はほとんどいない、70年代の暗黒期に活躍した
   俳優はもうほとんどいなくなってしまった。
   70年代の人がいなくて60年代まで飛んでしまう。
   韓国映画界に深みが足りないと思う。
   私の俳優としての抱負は
   「いつまでも元気で、いくつまでできるか実験したい。
   後輩にあー@@歳まではできるんだな」と思われるようになりたい。
   東北アジアは外見、地理的にも近い、漢字文化圏でもあるし、感情も近いものがある。
   韓国、日本で開放ができて、今後中国が本格的に開放できればもっと交流できるでしょう。
   文化的には交流が広まり、マーケットは拡大していくでしょう。
   交流はみなさんがお互いを愛するように心がけて活発にしていって欲しいと思います。


(終)
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by gomazokun | 2008-10-27 23:16 | その他
アン・ソンギ氏トークショー
今日は立命館大学コリア研究センター主催の
「第3回韓国映画フェスティバル アン・ソンギ氏トークショー」へ行ってきました。
早速、トークショーの内容の要約をあげますねぇ

16時30分スタートで、まだ会場がざわついている状態の中
いきなりアン・ソンギさんがスタスタとステージに現れる(w
その後ろから通訳のイム・チャンジョンさん、
進行役(聞き手?)の冨田美香さんがついてくるってな感じの
なんだか不思議な雰囲気でしかも、アン・ソンギさんなぜか中央ではなく端の席に座り
通訳が真ん中ってなんだかますます変な感じのオープニング(爆
マスコミ関係者がステージ前に集まり写真撮影、
この途中でスタッフがアン・ソンギさんに駆け寄り
中央に座るように促す(一旦、「別にいいよ」みたいなことをゆーてたようですが)
中央に座りなおす。
が、しかし中央に座ったことで問題が。。。
中央に花が飾ってあり、前の席の方が花が邪魔だと騒ぎ出す(爆
花を机の下におろす事で一件落着(この際、アン・ソンギさんまで花を動かすのを手伝う。。。ええ人やぁ)

あ、肝心のお話なんですけど
子役としてデビューして現在に至るまでの流れや、転機となった出来事などを
聞き手の冨田さんが質問していく形で進められました。
その中でのいくつか印象深かった話を。。。


★アン・ソンギ氏は子役の後少し映画から離れて、兵役が終わってから俳優に復帰しているのですが、その復帰の経緯について

大学でベトナム語を専攻したが、卒業した時点でベトナム戦争から韓国軍が撤退しており
ベトナム語を使う機会がなくなり、民間企業にも就職が難しかったので俳優に復帰した。
復帰した時期が1978年、パク・チョンヒ大統領の軍事政権下にあり
製作される映画は、厳しい検閲によって表現が制限されていた。
厳しい世相の中、民衆の憧れの的、尊敬を受けるような俳優になりたいと思ったが
最初の3本は、(軍事政府のいいなりで製作された映画であったため)映画製作に関わるのがつらかった

★4本目の映画「風吹く良き日」(民主化運動を背景にした映画)から方向性が変化したように見えるが、そのきっかけは?

 「風吹く良き日」の話を聞いたときに、自分から噛み付くように出演を決めた
 そして、撮影の最中にパク・チョンヒが暗殺され、政府が混乱していたため
 検閲機関が機能を果たしておらず、民主化運動を背景にした映画を製作することができた。
 少し遅ければ、また一段と厳格化された検閲に阻まれていたことだろう
 この映画は韓国の知識人にアピールできたし、勇気を与えた作品だと思う。

★俳優パク・チュンフンとの縁について
 
 昔、奥さんとミョンドンでデートしているときに、当時大学生であったパク・チュンフンが
 走って追いかけてきた、逃げても逃げても現れて2キロくらい走ってきた(w
 それから20年間で4本の映画で共演したが、どれも評判も良く、興行的にも成功をしているが
 いつも二人で「この二人が組めば成功するのに、なぜ5年に1回しか作らないんだ?」と冗談を言っている
 でも、「きっと良い作品だから前の印象を消すのに5年かかるんだ」と思っている(w
 お互いの家が見える距離に住んでいて、スポーツクラブも一緒だし、冠婚葬祭に呼ばれても必ずといっていいほど会う、家族よりも親密な付き合いだ
 
★今後の韓国映画の動向について
 
 韓国の経済は今、非常に悪い状況にあるが、映画業界はそれよりも悪い状況にある。
 第一の要因はインターネットにある。韓国はインターネット大国であり、違法ダウンロードが横行しておりPCで映画を観て、映画館に行って観る人が少ない。
 もちろん№1ヒットの映画は映画館に行って観る人が多いが、2番手3番手の映画を映画館まで行って観る人は少ない。
 韓国映画の全盛期は1960年代であった。その次が1990年代後半から2006年まで、
 1960年代以降は検閲が厳しくなり映画業界も沈滞した。
 1990年代後半になると新しい監督が出てきて、新しい素材も出て、また同じ素材でも新しい監督の解釈で新鮮な感覚で見ることができるようになった。
 今の韓国映画は、次に跳躍するための充電期間なのだと思う。再跳躍するための動きも出てきている。
 また、映画の配給システム、資金フロー(流れ)が良くない時期でもある
 映画の第1次収益の85%が映画館の入場料からで、非常に偏っている。第2次収益はCD,DVDの売り上げからとなるが違法ダウンロードのおかげで極端に少ない。
 そこで、映画館で収益を上げようとするとプロモーションに莫大な経費がかかる。
 映画投資会社の分析によると、第1次収益が上げられる映画は全体の5%程度しかない。
 収益があがらないから投資会社などから資金が流れてこない。
 また、韓流ブームの影響で映画の収益の50%を日本マーケットで上げていた時期があり
 今、ブームが下火になってきて、日本マーケットで収益を上げるのが厳しくなってきている
 対策として、制作費の現実化、成功報酬をもらうような「ランニング・ギャランティー」の導入を行うことを提案している。
 ソ・ジソプが出演している「映画は映画だ」がモデルとなり低予算で製作していく方向に向かうのではないか?
 もちろん、大作は作らなければならないが、中間のあいまいな作品は淘汰されていくだろう。



まーこんな感じで全体的にかなり硬派な内容ですけど
実際は、アン・ソンギ氏の人柄というかソフトな話し方のおかげで
とても和やかな雰囲気でした。
また、アン・ソンギ氏だけ質問内容をイヤホンで同時通訳で聞いて答えるという形だったのですが、質問を聞くときだけスイッチをオンにしていたらしく、何度かスイッチを切り替えるのを忘れて
冨田さんが質問している最中に「あーーーーーータシ。。。タシハンボン。。。」と机に突っ伏すこと2,3回。。。
これがめっちゃかわいかったです(w
それと通訳のイム・チャンジョンさんが誤訳してしまい、
最前列にいた主催者の徐教授にすかさず突っ込まれるという場面もありましたが、アン・ソンギさんも会場も笑いの渦でした
予定の90分を10分ほどオーバーしてもまだ話したりずって感じでしたが
続きは日曜のシンポジウムでってことでした♪

この最後の質問に対してのアン・ソンギ氏の回答を聞いて
「あー韓国にこの人がいれば安心だな」って思えるような
現実をシビアに捉えるだけでなく、今後の方向性までも見据えている
この人が韓国映画俳優協会の会長さんで心強いと思いました。
きっと問題は俳優とかじゃなくて、取り巻くビジネスが悪循環を起こしてるんよねぇ
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by gomazokun | 2008-10-24 21:40 | その他
한국어를 공부합시다(1)
へへへ
新しいシリーズを作りました♪
第一弾は「接吻の指輪」の冒頭
殿は電話で何を話しているのか?
「あれ?字幕でないなぁ」なんて思いませんでした?
ここに字幕が出ないのはなんでだろう。。。
なんか意図があるのか?忘れたのか?

ま、そんなことはさておいて、字幕がないなら
誰かに聞き取っていただこう♪(いつもの他力本願)
てなことで、チャレンジして頂きました。
タイトルにもあるようにあくまでも「お勉強しましょう→チャレンジ」なので
「ここはこーじゃないかなぁ」とか「こう訳したほうがいいんじゃないかなぁ」って
部分があったら、コメント欄に公開でも非公開でもいいので
書き込みをお願いしますねー
あ、感想もどしどし書いてくださいねー

それと、まだ見ていない人や、自分でチャレンジしたいかたもいるかと思うので
会話の内容を知りたい方だけ
(お仲間Jさんがハングルで書き起こしてくれましたので追記しました。。。10/20 22:45)

여기를 클릭해 주세요(click here)
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by gomazokun | 2008-10-17 20:15 | 韓国語
ロケ地みっけ(指輪編)
みなさん
もうごらんになりましたかぁ
ごまたは事前に撮影現場の様子を見聞きしていたんですけど
どうも、それらの話をまとめると
「場末のスナックで流れるカラオケビデオ」のイメージが。。。
(行ったことあるんかい!)
相手役のおネーちゃん(木村タエさんじゃない方)にも
「首の黄色いスカーフはなんだ???ヲイヲイ大丈夫なんかほんまに。。。」
写真の関係でマフラーがスカーフに見えてました
だがしかし、だがしかし
届いてみてみれば
「素敵やんかいさーーーカッコイイやんかいさー」
じゃないですか!!!
発売日当日ってことでまだごらんになっていない方もいるかと思うので
見たい方だけ見てくださいね

初めのほうとラストのほうで映っている
そして重要なブツもそこに出てくる
あの場所は。。。

どこなの?(click here)
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by gomazokun | 2008-10-15 20:41 | その他