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CINE21 850号③
バリスタの資格証も取った


インタビューが、あまりにも久しぶりだと。
思い切り周辺で、最近、最も多く聞く質問は何ですか。

一番大きいのは、やはり結婚です。
少し前の妹(イ・ウニ) の結婚が大きかったです。
気持ちが本当に変でした。
私はいつも、お母さん、妹、
チャールズ(イ・ビョンホンの海外マネージャー)と一緒に暮らしていたのに、
振り返ると、妹もチャールズも結婚したのです。
それにソン代表、会社の会計をする友人のような普通の近い人ではなく、
私に重要なすべての人たちが、最近みんな結婚しました。
スケジュールがなくて遊んでいる期間だったら、
心が乱れていたように思います。



普通そんな時、自分に向けた総体的反省が始まりませんか。(笑い)

まだ考える余裕がないです。
妹の結婚式も、式を執り行うことが、私には重要なことでした。
結婚式の日は、涙を堪えるために、酷い目にあいました。
妹やお母さんは、涙もろい人なのかよく分かっているので、
私が精神を集中できないと大変な事になると思ったんですよ。
結婚式の二日後に妹に電話をしたのですが
“僕、撮影場なんだけど、どこ”と聞いたら、家だと言ったんですよ。
“お母さん、ちょっと代わって”と言うと
“いいえ、私たちの家だから”と言うんです。
電話を切るのに、気持ちが本当に変でしたよ。
お母さんは、本当に寂しいだろうな。
僕は分からなくても、お母さんに娘は、一番近い友達だから。
そんな考えたちが、やたらにしましたよ。



バリスタの資格を取りましたが。そんな趣味の生活をするなんて、少し見慣れません。

これ(インタビューの時イ・ビョンホンは、タンブラーに入ったコーヒーを持って来た)
私が作ったものです。
私はバリスタなのに、他の人が作ったものをどうして飲むのか。(笑い)
深刻にしたことではなくて、知り合いのお兄さんが一緒に通おうと言って、
付いて行くことになりました。
ちょうど「悪魔を見た」を撮ってから時間が少しあるから行ったのですが、
やってみると面白かったですよ。
職場に通う生活とは違って、この仕事をしてみると、
急に時間が、ぽっかりできるし、
与えられた時、何をしようかと思うことが多いです。
ただボーっとしていると時間がもったいないので、
そんな時、安らかになれるものたちは何か、
悩むようになります。
ワインも学びたいです。
眠れない時、一杯ワンショット飲んで終わらせるのではなく、
この小さな瓶の中に込められたワインの歴史を知ると、
私に与えられた空の時間が、もう少し豊かにならないかと思います。
映画も、家で、一人で見る方です。
コーヒーを飲む瞬間も、ワインを飲む瞬間も、映画を見る瞬間も、
乱れて気が抜けた私の生活を沈澱させる時間になってくれます。



学んで挑戦するところが開かれているのは、少し意外な姿です。

そんなことたちに、閉鎖的ではありません。
元々性格も好奇心多いし、無茶だし、あれこれ探してみる方です。
人々は、私が有名だからか、殆どのことは気に入らないと思うけれど、
私に対して、そんな考えをすること自体が、嫌です。
だから、さらに積極的に表現するようになります。
その上、私がバラエティやトークショーに出ないと、閉鎖的だと思います。
でも、大部分のバラエティは、自分の人生を話すものではないですか。
俳優が何故自分の話をしなければならないのか。
話してみると、結局自分の合理化で言い訳になります。
そんなツールがよく合って必要な人もいますが、私には違います。
その他の側面では、私は開かれています。



最近のケーブルTVで「明日は愛」を見ると、なお新しく感じます。
1992年から放送されたので、デビューの時の姿です。

20年前の姿を、そのように見せてくれるのは、
明らかなテロです。
一人で見るのも顔から火が出るのに、
それを全国放送で送りだすなんて。 (笑い)
また見たら、本当に若かったですよ。
頬の肉が、どんなに丸々としているか。
あの時の私のニックネームは、アヒルのお尻でした。
白のパンツが盛んに流行するから、
はちきれそうなジーパンをはいて通いました。



演技というよりは、本当に、そんな大学生みたいでした。
おかげで「明日は愛」が、同時代の観客に及ぼした影響力は、途方もなかったです。

それもそのはずなのが、
あの時はマネージャーにも疎かったです。
特に私のような公採出身は、よりそうでした。
7年間、マネージャーなしで通いました。
スタイリストもいないから、着て出た服は、すべて私の服です。
その週の分量が 4日分なら、
四種類の着装を合わせて行きます。
最大限自然なものを見せてあげようという気持ちがありました。
私が TV 見ながらいつも疑問だったのは、
何故、寝て起きても俳優たちは、
みんな、化粧をして綺麗なのかでした。
本当に起きた人のようにしなければいけないと思いました。
それで、髪を、わざわざやたらにもつれさせて、
折り畳むようにドライをしました。
そんなふうにリアルな姿を見せてくれるものは、
以前にはなかったです。
周辺からは、何であんなにまで乱れる必要があるのかと
言う視線もあったのですが、
視聴者によって、反応が届いたんですよ。
少し前に「明日は愛」のチームが再び集まったのですが、
ユン・ソクホ監督が、
その後の話を、 2部作一幕物でしてみても良いんじゃないかと、
おっしゃったんですよ。
あの時はキャンパスが背景だったのですが、
ボムスは建築学科の教授になっているのです。
でも、また会って編集されるなら、「愛と戦争」になるのか。(笑い)



「明日は愛」の話が出たついでに、
1991年 KBS 公採タレントでデビューした後、もう演技20年です。
アクションの演技が、すっかり増えましたが、大変ではないですか. (笑い)

会社員たちは課長、部長になることを考えながらストレスを受けますが、
代わりに、少ないけれど粘り強くお金を稼ぐし、
本人の具合が悪いと、代わりにしてくれる人もいます。
でも、私たちには、代わりをしてくれる人がいません。
あっ、チョン・ドゥホン武術監督がいますね。(笑い)
今になって違うこともできないし。
振り返ってみると、私が演技をすることになるのは、
本当に分からなかったです。
幼い頃、町内では大将でリーダーシップもあったのですが、
いざ学校で発表しろと言われると、言えませんでした。
他の人の前に立つのが、とても恥ずかしくて大変でした。
子役俳優だった妹の顔なじみだった他の俳優のお母さんが、
“君はタレントにしてもいい”ということを言うので、
話にならないと言ったのですが、
今は、これが、私の一生の職業になりました。
ところで、あっ、そうだ、「私は朝鮮の王だ」は、
大衆が好きな映画と言いましたが、
興行が上手くいかなければどうするか、心配です。

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by gomazokun | 2012-04-25 22:39 | その他翻訳
CINE21 850号①
またまたazukiさんが
訳してくれましたー
CINE21のインタビューはほんまに読み応えがありますよねー
日本の韓流スター的なインタビュー
はよ止めて欲しいです。

殿の発言は水色の部分です。


[イ・ビョンホン] この俳優の無限挑戦
「G.I.JOE2」「私は朝鮮の王だ」 イ・ビョンホン


あえて分類してみようとしても、イ・ビョンホンは独歩的な世代だ。
彼はチェ・ミンシクを筆頭にしたソン・ガンホ、 ソル・ギョングのような
演技派俳優たちと立場を共有しないし、
スター性を土台に演技性を構築したウォン・ビン、チョ・インソンのような
俳優とも共通の分母で編集されない。
訓練ではなく、生まれつきの演技。世代と地域を出入りするスター性。
この二つこそ、別々に引き離すことができない、
イ・ビョンホンを構成する単一の物であると同時に、
彼のスクリーン掌握力を絶対的にさせてくれる要素だ。
17周年を迎えたCINE21が俳優イ・ビョンホンに会った。
光海君と似ている外貌を持った賎民ハソンが
偽物の王の役割をしながら起きるファクション
(*注)フィクションとノンフィクションの中間のもの)
時代劇「私は朝鮮の王だ」で彼は、
光海君とハソンの二つのキャラクターを行き交う
1人2役の演技で撮影に邁進中であり、
まもなく封切りするハリウッドブロックバスター「G.I.JOE 2」で、
変化したストーム・シャドーを見せてくれる予定だ。
演技生活 20年の間の彼は、
容易く崩れない堅固な自身を積み重ねたが、
率直な彼の話を通じて振り返ったその道には、葛藤と疑心、
挑戦と決断が毎瞬間共にしていた。
安定を放棄することで彼が得た無限な期待の領域に、
つかつかと足を入れてみる。


撮影真っ盛りのところだから、今日のインタビュースケジュールは、奇跡と同じでした。

本当にドラマを撮っているようです。
製作費の負担によって、昔より、現場が、
とてもタイトになっています。
アメリカで毎日運動しながら撮影する時より、
もっと大変なように思います。



時代劇は初めてだから、馴染みが薄いです。

わぁ、時代劇をする人たちは、すごいと思いましたよ。
髭をつけて、まげを結って上げる扮装が、
どんなに苦痛か分かりません。
歯の矯正をする人たちが、初めに、
とても痛くて眠れないと言っていたのですが、
たぶん、似ているように思います。
撮影が20時間なら20時間、
ずっと口の周辺と頭の中が痒いです。
それに耐えながら続けます。
撮影が瞬間的に大変な時は多いですが、
こんなに粘り強く苦痛が伴うものは初めてです。
とても鋭敏になって集中できない時も多いです。



その上、抜き差しならない、冬の撮影でした。

生まれて初めて下着を着ました。
一枚でもなくて二枚ずつも。
本当に寒くて狂いそうだったんですよ。
服は、みんな麻の素材なので、
保温が全くできなかったんです。
ハソンを演じる時は、それでも大丈夫です。
でも、光海君は王なので、
服がシワになってはいけません。
よく折り畳まれているし、シワになる素材だから、
少しの間暇ができる時に、
パディング(*注)パディングウェア=羽毛などを詰めた防寒用の上着)
も着ることができません。
一時間以上休みそうだと思うと、
脱いでパディングを着ています。
大部分は寒いまま、ただ堪えるしかないです。



苦労するからそうなのか、とても痩せたようです。頬の肉が、すっかり減りました。

痩せは、しなかったです。
むしろ監督が、時代劇だから、シックスパック、
こんなのはダメだとおっしゃるので、
作った筋肉をすべて無くしています。
さらに、お腹も出てきました。 (笑い)
扮装するのに一時間半程度もかかるので、
一日を早く始めます。
最近は、両水里(ヤンスリ)でなければ、
聞慶(ムンギョン)で撮影しているのですが、
ヤンスリに行く時は、家から午前 7時に、
ムンギョンに行く時は、午前 5時30分に出ます。
ずっと朝の生活に合わせて撮影するなら大丈夫ですが、
大変なのは、3~4日ほどこうしてから、
翌日の撮影が、午後 6時に決まる時です。
そう、曖昧なのです。(笑い)
この日は、午後 6時から翌日 6時へ、
生活のタイマーを合わせておかなければいけません。
そうすると、翌日には、めちゃくちゃになります。
いつでも眠くて寝なければならない時間には眠れない。
身体は、それで萎えるように思います。



それでも初の時代劇を '試み'るほど、
今度の役は、魅力的なキャラクターです。
1人2役というのも、間違いなく、俳優にとっては、
大きな刺激になるはずだし。

単純に興味で行くには、負担な部分があります。
1人2役という構図は、
確かに俳優にとっては挑戦の地点ですが、
完全に感性だけで、これをすることになったのではありません。
私が楽しんでこそ、それが作品にも反映されるし、
結局観客も楽しむことができると
マインドコントロールをしたりするのですが、
ある瞬間からは、
それが上手くできなかったんですよ。
この結果は、最終的には私を評価する物差しになるし、
私が最も上手くする部分だと判断してする仕事だから
責任感が大きいです。
自分一人楽しむなら何でやるのか。
観客がそっぽを向いたら、それで終りなのに。
その上、次の作品にも影響を与えます。
私にとっては、これが生計です。



「私は朝鮮の王だ」が大きなプロジェクトになったのは、
イ・ビョンホンのキャスティングが、功を奏したという評価です。

みんながとても期待しているのですが、
今度の映画は、思ったより可愛らしいドラマです。
シナリオを読む時は面白かったのですが、
今度は少し珍しい経験でした。
私もこの生活をした歳月があるから、
普通作品を見れば 60~70%は下絵が描かれます。
ここで私に任せられるものがどんな姿であるかは、
およそ80%は見えます。
話は監督の領域ですが、キャラクターは私が描くものなので、
もっとよく見えます。
でも今度は、それが全く見えなかったんですよ。
キャラクターが正確にどうなのか、私がその役をした時はどんな姿か、
想像できなかったんですよ。
しようと思う役について、こんなに不安で最後まで分からないのは、
ほとんど初めてでした。
3ヶ月をどのようにするか悩みました。



悩みの地点で結局見つけた解決法は何だったのですか。

ソン代表(ソン・ソグ、イ・ビョンホン所属社 BHエンターテイメント代表)が、
そばでプッシュしたことが大きかったです。
何といっても、一番目にこの映画は、
多くの人たちが好きな映画です。
また、シナリオがコミックなので、深刻な面ではなく、
今では私にこんな面もあるということを
見せてくれるのが悪くなさそうです。
確かにこの映画は、しばらく私がした映画たちと違い、
大衆的な映画です。
撮影しながらコミックな部分が徐々により大きくなるので、
もはや完全にコミック映画になったようでもあるし。 (笑い)



一度生きる人生、何のために石橋を何度も叩くのか


ある瞬間から、出演作がジャンルや素材において、
暗くてマイナーな側面が強いのは事実です。
これ以上大衆性にこだわらないという印象も受けたし。

「純愛中毒」の時から、そうみたいです。
「甘い人生」も評壇は認めたけれど、観客数で見ようとすれば、
見捨てられたのも同然だったし。
「悪魔を見た」は言うまでもなく。
深刻で真摯にしながら、結局、悪役まで行きました。
だから劇場によく行く 20~30代の観客は、
私のイメージをとても暗く思います。
でも、それは誤解です。何故なら私は、
わずか十数年前までにしても、
良く笑わせるやつ、不真面目なやつ、
元気な大学生のイメージが全てでした。
「明日は愛」「ポリス」「アスファルトの男」をする時は、
私が深刻な役をすると言えば、
“イ・ビョンホンが、そんなことをどうして言うのか”と、
話にならないと言いました。
私は自分の歴史を知っていて、
こんな明るいイメージが頭の中にすべてあるから、
私のイメージが違うように受け入れられるということも分かりませんでした。
ところで一年ほど前、後輩が
“兄さんは、とても深刻で真摯な役ばかりするみたい”と言ったんですよ。
それは君の誤解だ、と言ったのですが、
じっくり考えると、私は、自分を誤解していたんですよ。



「私は朝鮮の王だ」のコミックな要素は、今の基調を逆転して、
大衆性を獲得する土台になるものですか。

厳密に言って、以前まで、
観客数を考えて作品を選択した事はなかったです。
「I COME WITH THE RAIN」をしたのも観客数とは距離が遠かったし、
「G.I.JOE:戦争の序幕 (以下 G.I.JOE)をする時も、
人々が後ろ指を差す感じを受けました。
それなりに自分の世界で位置を押し堅めている奴が、
何故あんなことをするのか。
ハリウッドだと石橋なのか、スポンジで作った橋かも知れなくて
無条件で行くのかと眺める視線がありました。
その当時は、私にとって、すごい激変期でした。
一ヶ月の間に「グッド・バッド・ウィアード」
「I COME WITH THE RAIN」「G.I.JOE」、
三つの映画の契約を締結しました。
以前までが人々が少し喉の渇く程度で作品をしていたというなら、
この時からは、本当に休まず行くようになったのです。



観点の変化が生じたのですが、何か、特別なきっかけがあったのですか。

どうせ一度生きる人生なのに、
何をそんなに石橋を何度も叩くのかと思ったんですよ。
作品の結果や波長は、
誰にも予測することができないことなのに、
私は何をそんなに占おうとするのか、
ただ私をもう少し豊かにさせて、
私の新しい姿を見せてくれることができるなら
一度やってみようと思いました。
やって後悔する方がマシだと思ったんですよ。
そんな決心をしてからは、
作品を決めるのに時間が少なめにかかるし、楽になりました。



総70回のところ、既に30回撮影を終えたのですが、
半分になる今の判断は、どうですか。

あまりにも無茶でユーモラスだから、
こんな役は自信があるように思っていたのに、
久しぶりにしてみると、感覚を失ったのか、
上手くしていても、
やたらに自分でチェックするようになります。
最近は、分裂症を経験しているようだったりします。
ある日は光海君を演じて、
翌日はハソンになっている日も多いです。
普通 1人2役なら、
完全に異なる二種類の役をするのですが、
これは、元はと言えば三種類の役です。
光海君、ハソン、そして、
光海君であるように光海君の真似をするハソン。
そのディテールした差の水準を調節するのが、
すごく大変です。
現場で、二人の人物の雰囲気が完全に違うと言う褒め言葉を聞くと、
気分は良いですが、
実際に、その程度に雰囲気を確実に変えようとする私は、
物凄く苦闘しているのです。
俳優たちに与えられた能力である瞬間沒入、
こんなものたちが、ある程度あるからできそうです。

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by gomazokun | 2012-04-25 21:35 | その他翻訳
COSMOPOLITAN12月号
またまたazukiさんが訳してくれました^^
殿の発言は水色の部分です。

STAR STORY
A Man on the Way


デビュー以来一度もトップの座を失わなかったイ・ビョンホンは、
一人でコツコツとハリウッドに歩いて入って行った.
魅力的に輝いた目つきは、さらに鋭く光るようになったし、愉快な気配は以前と同じだった.
映画撮影のためアメリカに滞在している彼にカリフォルニアナパバレーで会った.


私は、昨日午後に韓国発サンフランシスコ行きの飛行機に乗って、
こちらナパバレーに到着しました.
ビョンホンさんは、ニューオリンズから飛行機に乗って、昨日夕方に到着したんでしょう?
地球の反対側ののんびりしたワイナリーで、
ビョンホンさんに会ったら、すごく特別な気がしますね.

撮影が、ほとんど最終段階に入りました.
3週間後なら、韓国に帰ることになりそうですよ.
アメリカを離れる前に、ちょっと特別な旅行がしたかったので、
どこに行くか悩んでから
世界的なワインの産地として有名な、
カリフォルニアのナパバレー地域を旅行することに心に決めたんです.
私はワインがすごく好きなのですが、
ナパバレーは世界的に有名なワインの産地なので、
是非一度来たかったんですよ.
歴史が深いワイナリーを訪問して、
カリフォルニアの美しい自然も満喫しながら、
久しぶりにひっそりとした時間を過ごしています



去年の夏から韓国を離れていたでしょう?
月で計算すると、あまり長くないのに、なんだかかなり昔のような感じがします.
その間どのように過ごしていましたか?
とにかく、身体がとても良さそうに見えますね.

アメリカには 7月中旬頃来て、
しばらく映画撮影のために多様なトレーニングを受けました.
トレーニングを受けて運動して、トレーニングを受けて運動して.
そのようにして8月中旬から本格的に撮影に合流したし、
今 3回分量程度が残りました.
ニューオリンズで、個人トレーナー、マネージャー二人、
スタントダブルで一緒に来たチョン・ドゥホン監督、
こんなふうに男五人で過ごしています.
あまりにも運動量が多かったので、
撮影がなくて休みの日には、本当に何もしたくなかったです.
何時間か、ぼーっと座っている途中で、
ハッと我に返ったことも何回かあったし.
今は、撮影がほとんど終わって、
たまにワインも一杯飲んで食事も正常にするので
再び自分のペースを取り戻したのですが



あっ、寂しかったですか.

はい. 韓国が、本当に、とても恋しかったです.
撮影のない日は、もっとそうでした.
男五人がアパートで、ぼーっとしている途中、
誰か一人がインターネットをむやみに検索するでしょう.
“わぁ、今のその映画やるって.”
“おもしろい. その映画見に行こうか?”
でも、そのように話していても、五人でずいぶん考えます.
行こうか、止めようか?
みんな、運動をあまりにもし過ぎたせいで、力がないし.
ところが、メニュー調節中だから、
キッチンへ行って鶏の胸肉のサンドイッチ五つを準備します.
そのようにお弁当をこしらえて映画を見に行ったり、
ある日は<スーパースターK2>とか
<スターオーディション 偉大な誕生>を見ながら時間を過ごすのが
最大の楽しみでした.
それでも Part1を撮影する時よりは、ずっとマシでした.
あの時は、単純に韓国から遠く離れた所にいるから、
あるいは知っている人があまりいなくて生じる寂しさではなく
映画のために生じた寂しさだったから


遠く離れているからではなく、映画のため生じた寂しさだから、それはどんなことですか?

韓国で私が今まで積んで来た俳優としてのイメージ、
そして私の世界というのがあるじゃないですか.
ところが、いきなり仮面を被って、
刀を持って来て空を飛び回る映画を撮らなければならないと思ったら
実際、混沌としたんです.
この映画をすることに決めてアメリカへ来て
撮影をして封切りするまでの期間は、
実際は、とても混沌とした時間だったんです.
誰にも話せなくて一人で悩んだし、
後で全ての責任を自分一人で引き受けなければならない
という思いのため辛かったです.
しかし、人々に、この映画がとにかく近づいて、
この映画の魅力が何なのか分かるようになったのか、
今度の映画を撮る時は、怖さが相当なくなりました.
それに、ハリウッドのシステムにもとても適応できたし.



(写真の中の文:“俳優になるまで私の人生は平坦でした.“
と言う彼の目つきは、少し疲れてだるく見えた.
かなり長かった海外滞在が、
彼には孤独と向い合う時間をプレゼントしたせいかもしれない.
しかし慣れて楽なものなどと別れる代わりに、
自分自身との新しい対決を始めた俳優イ・ビョンホンには、
このすべてのことが決まった運命であるだけだ.
甘くほろ苦い運命までも押し黙って受け入れる用意ができたこの男にとって、
孤独だから、疲れてだるいからということは、
彼が描く人生の軌跡に、ただ必要十分な何かであるだけだということを、
彼も分かっているし、私たちも分かっている.)


Part1の成功のおかげで part2のキャスティングが可能だったため
実質的に俳優イ・ビョンホンに対する待遇も
少し良くなったのではないかと思うのですが.
それから、撮影場雰囲気は、どうだったのですか?

はい、ものすごく良くなりました.
実際、Part1では監督と相談するとかシナリオに対して
お互いに深い話を交わすとか、
私のアイディアを提示するとかいう考えは、
敢えてできなかったです.
そんな話をするに値する雰囲気にもならなかったし.
でも今度は '私の影響が結構できたのか?'
という気がするほど
私のアイディアを話すと、
差し支えなければ受け入れる雰囲気でした.
この映画に一緒にキャスティングされた
ブルース・ウィリスとも気楽に楽しく撮影したんですよ.
皆がとても気楽に撮影する雰囲気でした.



韓国では一瞬もトップの地位を外れたことのなかったあなたが、
そんな混沌と生硬さの時間を持ちこたえながらも
ハリウッド映画に出演を決めたというなら、
何か遠大な意味のようなものがあったのではないかと思いました

おおげさな意味というものまではなかったです.
これといった目標というものもなかったです.
私はただ、自分がどこまでできるのか、そして、
自分が挑戦することができる力が、どこまで出てくるのか、
胸のドキドキが、いつまで続くことができるのかを
試してみたいという考え程度でした.
どこまで行くか一度見てみたいというそんな感じ



とにかくハリウッド進出の第一歩を成功的に仕上げて、
既に二番目の映画が来年に早速封切りすると思いますが、
グローバルスターという呼称は、あまり不自然じゃないという感じです.
グローバルスターになるということは、
結局、俳優としての影響力が、ますます大きくなること
を意味すると思うのですが、どうですか?

うーん、言わばそれはまるでコインの両面みたいな感じですね.
私を知っている人が多くなって、
私によって影響を受ける人が増えることを思うと、
実際、良い影響を与えなければならないという
プレッシャーが大きくなります.
しかし私は俳優を始めたし、今も俳優で、
今後とも俳優であるはずなので、
そんな負担に閉じこめられるようになれば、俳優としての私の色は
ますます褪せることがありうるという怖さも同時にします.
実は、その部分に対する結論は、もう下しました.
私が俳優として、とにかく仕事に臨む時は、
ジャンルでも役目でもストーリーに対しても、
とても自由でいたいです.
それから、人々に良い影響力を与えることも、
持続的にして行くつもりです



デビューしてから 20年です.
20年間俳優として生きていたあなたが、俳優という職業に対して、
どんな定義をつけるのか気にならざるを得ないです

自分が今まで生きていきながら感じた感情を極と極として、
自由自在に変奏して想像して表現し出すことが俳優だと思います



ビョンホンさんには、はじめから、
そのように感情を自由自在に変奏して極大化して表現する過程が、
ある程度は容易く感じられましたか?
演技の授業をまともに受けたこともなかったけれど、
大衆と評壇からいつも演技力を認められたビョンホンさんだったので、
その過程が難しくなかったと言う気がしたりするのですが

私は 20年俳優ですが、たまに
'私は今何をしているのだろう?' 、
'私が今しているのは演技なのか?'
そんな気がしながら、完全白紙状態になる時があります.
それで作品に入って行く前、
頭の中に絶えず私が引き受けた配役を描いてみて、
その人物に染まろうと努めます.
見えない形態を自分の目に見えるように繰り返す作業が、
俳優としての人生で 3分の 2を占めると思います.
しかし、その形態をまともに見られずに作品に入って行く時もあります.
そんな時はその作品が終わるまで、おびただしい苦痛を経験します.
私がどんな人物を演技するか分からなかったまま演技するのは、
それこそ '演技をする'という気がするようになるから.



ビョンホンさんのフィルモグラフィーを見ると、
ますます作品の頻度が増えるのが分かりました.
実はトップスターの地位が確固になるほど、
作品の数を減らして大衆から遠くなる方に、
つまり神秘主義を選ぶ何人かの俳優を思うと、
ますます多作モードに入って行くビョンホンさんのフィルモには、
確かに理由があると言う気がしました

今が私の人生で最も鋭敏で纎細な時でないかは
分かりませんが、
とにかく、徐々に時間が経つほど、
少しずつ鈍くなることもありうるという考えをするんですよ.
俳優としての私の最大の長所は、
おそらく真正性ではないかと思うのですが、
その真正性を毎瞬間持とうと努力することとは別個で、
私が俳優として全身の感覚をもう少しディテールするように
表現することができる時、
もう少し多く作品をすることが、
後で後悔しない人生であることができるという考えをしました



後悔しない人生を生きるということ、重要なことです.
これからの人生が、どんな姿だったら良いと思いますか?

私の人生は、平坦だったら良いです.
でも私の映画人生は、スペクタクルだったらと思います



今までの人生は、平坦だったと思いますか?

概ね名前が広く知られた俳優やアーティストたちは
その職業を持つ以前の人生がとても屈曲が多くて、
あまりしてみることができない特異な経験を
たくさんした方でしょう.
そこで演技の深みが生じて創造的な何かが出たりするから.
でも私は、実はものすごく平坦な人生を生きていました.
俳優になって多くの人々に知られるようになるから、
それ自体が、私には、これ以上の平坦さを許さないのでしょう.
俳優の人生が、どうして平坦にすることができますか.
派手な時もあるし、ものすごく良くない時もあるでしょう.
このようなことが、決して緩くないグラフのように
軌跡を描くようになるから、
平坦な人生と遠くなったな、そんな考えをするようになります



平坦ではないこと、大丈夫ですか?

私は平坦な人生になるように望んだけれど、
俳優になった以上そうではないんですよね.
私は、ただ耐えてぶつかって行かなければならないのでしょう



ビョンホンさんも、失敗を経験して後悔した記憶がありますか?

私は後悔しないです.
すべてのことは自分の業報で、
自分の運命であるだけだと思っています



インタビューの度に外せないのは、
たぶんあなたの恋愛と結婚に対する質問のようです

共通点が多い人だったら良いです.
私より賢明だったら良いし.
それから、その人に初めて会った瞬間には、
胸が震えたらと思います.
私の年齢くらいになると
'あぁ、この程度なら気楽だな'という考えで
結婚を決める人々もいますよね?
私はそれでも、最小限、私がその人と結婚すると決心する前までは、
強烈な胸の震えがあったらと思います.
そんな人とワインを一杯飲みながら多くの話を交わす、
そんな恋愛をしたいです.
結婚は当然したいですが、
時間がもっとたくさん経つとできないかも知れないという危機感は、
確かにします



もう何週間か後韓国に帰ると、
また他の試みと決定をするようになるでしょう.
今後の計画は、どのように立てているのか気になります

確実に決まったものはないです.
私はいつも無計画でした.
誰かが私に目標が何なのかと尋ねると、
頭の中が真っ白になる感じさえします.
計画をして生きるスタイルだったら、
私には、もう妻と子供もいたのだし、
とにかく普通の男たちのようにノーマルな人生を
生きていたかもしれません.
無計画の中で生きるということは、
それを楽しむことができる限り大丈夫だと思います.
'次は果してどんな作品が私に来るのか?' 、
'次回は何が私の胸をドキドキさせるのか?'
そんなことに対する期待があるから.
私は、完壁とはほど遠い人ですが、
私が行くことができる限り、
一生懸命私の前に置かれた道を行ってみたいです.
今までそうして来たように

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by gomazokun | 2011-11-26 22:14 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (5)
7. 映画監督と映画俳優は、どんな方式で一緒に創造するのか?

映画俳優は監督(そして製作者と投資者)に選択される前には、
仕事に着手することができない、
イニシアチブを剥奪された奇妙な境遇の芸術家だ。
俳優に監督が重要な二番目の理由は、
監督の業務が映画演技の有機的構成要素だからだ。
映画の演技は、ショットの大きさと持続時間、編集が作る衝突、
音楽と美術、そして特殊効果と一緒になり、
最終的効果を観客に発揮するのだが、
そのすべての要素を総括する主体は監督だ。
話しても話さなくても俳優たちは、この点を鋭敏に意識している。
「ゴッドファーザーPARTⅢ」でシチリアを訪問した
マイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)の演技に関する
ハ・ジョンウの観察を聞いてみよう。
“そのシーンを見れば、アル・パチーノが直接的に演技しなくても、
カット割りと音楽とフラッシュバックが彼の演技を助けます。
おかげで俳優は、シンプルに行っても良いのです。
アル・パチーノは、その総合をあらかじめ分かっていたのでしょうか?
そんなことを思えば、敢えて俳優がフレームの中を、
すべて満たさなければならない必要はなさそうです。 ”

大多数の俳優が所有した監督の概念は“全体を知る人”だ。
作品全体のバランスに関する問題は監督に
任せるしかないという意味だ。
コ・チャンソクは“演劇は観客と接触する前方に俳優がいます。
演出と多くの論議をしますが、
最終的コントロールは俳優の分け前です。
一方映画は、私がどう考えて演じようと監督によって編集されます。
だから私が少し理解できないとしても、
監督の考えを理解しようと努力する必要が生じます”と言う。
ハ・ジョンウは、俳優が最優先で理解する要素はキャラクターではなく、
それを作った監督の気質と方向、意向という意見を、
控え目に打ち明ける。
イム・スジョンは、ここで一歩 (可愛らしく)さらに進む。
“キャラクターと作品には、監督の気質と人間観だけではなくて、
ちょっとした好みまで込められていると思います。
監督の多様な人間的様子が、
ちょっとした小道具にも現われる時があります。
だからいつも監督たちを観察します。
「サイボーグだけど大丈夫」でヨングンが、
しばしば使う 'おお' という感嘆詞は、
実はパク・チャヌク監督の癖から出ました。
例えば 'すべての監督は俳優になりたくて監督をする'と言う
チェ・ドンフン監督(「チョンウチ」)は、
演技の演出をする時、直接試演をしてみせるタイプです。
核心を伝えたいのに方法が分からなくて直接して見せるのです。
だから私は監督の試演をそのまま真似するのではなくて、
そこで核心だけ読めば良いです。”
と言うが、ふと気になった。映画を作ってみると、作品の著者は監督でも、
人物について一番多く悩んだ俳優は著作権を
主張したい瞬間が来ないのだろうか?
“それで俳優たちは言ったりします。
'何故そうすべきなのでしょう?
私ならそのようにしないように思うのですが。'
その時監督たちは、少したじろいだりします。
誰より俳優がその人物に身近にいることを直感しているから。
イ・ビョンホンの経験談だ。
監督と俳優は、人物に対して当然異見を持つことがありうる。
ソ・ヨンヒは、映画の基本的方向は、
共有する中で俳優がまだ予想できない演技を見せてくれる時が
最上の雰囲気になると笑いながら言う。
俳優と監督の感情のもつれと紙一重だ。

それなら監督はどのように俳優を助けることができるのだろうか?
韓国映画の主要作家たちとすべて
等しく作業して来たソン・ガンホは、
監督の良い演技演出を簡単に定義する。
“演技をよく引っ張り出す監督の方式は、
基本的にまったく同じです。
俳優が創意力を発揮することができる環境を作ってくれるのです。”
俳優がキャラクターを作る過程に対する
イ・ビョンホンの隠喩は次のように続く。
“結局人物の正面を見ることができなければ、
監督が前で持って立っている鏡に映った反映を見て演技したりします。”
ソ・ヨンヒの記憶は、より切なくて具体的だ。
彼女のデビュー作 「嫉妬は私の力」のパク・チャノク監督は、
カメラのメカニズムに無知だった彼女に、
相手と目を合わせない演技も虚飾ではないことがあるのを
注意深く説得してくれた。
ただ、俳優たちの証言で推測するにしても、
監督の演技の演出には要領が必要だ。
たとえば “彼はお母さんと係わるトラウマのため女性を
憎悪して”のような観念的規定は、
俳優を助けるどころか、縛りつけることがありうる。
いっそ “彼は今酸素が不足でトッポキが食べたくて”
のような話が流用することができるという話だ。
オ・ダルスが指折る一番易しい演技
ディレクションは 「オールドボーイ」で
パク・チャヌク監督がかけた“あいまいに演じてくれたら良いでしょう”だ。
そうしたところ、少し後、
模倣フィルムを準備したんですよ“と彼は付け加える。
イム・スジョンは 「箪笥」のキム・ジウン監督が
した演技演出を次のように記憶している。
“この場面では、はじめと終わりが、
このような状態と描写されませんでした。
代わりに、映画を準備して私的に交わした対話の印象的部分を記憶して、
感情を思い出させてくださいました。 ”


8. 俳優は与えられた配役の他に、どのように映画の創造に寄与するのか?

俳優が満たすところを正確に区切っておいて、
最善の技巧で満たしてくれることを期待する映画があって、
俳優によって、
その映画の話と態度まで初めて完成される映画がある。
監督たちは、頼もしい俳優を得た時、
彼らを創造的パートナーとして眺める。
ファン・ジョンミンは、演出に対する創意的寄与は、
俳優の基本責務の中での一部と考える立場だ。
“それでこそ映画が豊かになります。
将棋を置く当事者には見えない手段が第三者には見えて、
入れ知恵を置くようです。”
ファン・ジョンミンは 「不当取引」での彼のキャラクターが
部下刑事を偶発的に殺害して
現場を操作する場面を撮影する時、
多くのカットに分ける代わりにジミージブ(小型クレーン)を利用して
1テイクで撮る方がずっと力があると提案した。
自らあまり創意的な俳優ではないと思って、
なかったシーンも作り出す男優たちに感心していた
チョン・ドヨンは、近作 「カウントダウン」で、
自分でも分からない間にシーンを再構成する過程で
参加している自分にびっくりしたと言う。
“長くしてみると、見えなくても良いことが見えるようです。 (笑い) ”
そうでなくてもアイディアが多いことで有名なイ・ビョンホンは、
トラン・アン・ユン監督との「I come with the rain」を
撮りながら極限体験をした。
映画の主題についてどんな糸口も与えられていない状況で、
自立心がわき出たのだ。

ソン・ガンホの原論的な簡潔な答えは、
質問者を恥ずかしくさせる。
“元々俳優を通じて何かが創造されることを望んで、
彼をキャスティングするのではないですか。
いくらジャンル映画の中での定型化されたキャラクターだと言っても、
選択した俳優が、
それを具体的に発散することを望むものです。”
一方イム・スジョンは、私たちの皆が感知していたが、
文章で書くことができなかった真実を確認してくれる。
“俳優という存在自体が、
監督と映画人にインスピレーションを起こす部分があるようです。
まるで人形遊びをするように、
俳優にあらゆる服を着せてみるのです。”
映画製作で俳優の寄与するクリエィティブは、
本人が扮するキャラクターに対する
アイディアを提供するのにとどまらない。
もしかしたら彼らは、擬人化された、
私たちが夢見る代案的世界だから。
“レディー、アクション!”の瞬間、彼らは…

チョン・ドヨン
“さあ、シュート入って行きます”とカメラの前まで
歩いて行く何秒間は
'あぁ、死にたい' という気持ちです。
頭の片隅では上手くするということを分かっていても、
上手くできるまでは、すごく、本当に、おぉ!

コ・チャンソク
“アクション!”は、吸い込まれるブラックホール、
“カット!”は、すり抜けて来るホワイトホール。
その中でどんなことが起こるかは誰も分かりません。


ソン・ガンホ
もろ刃の草を刈る道具の上に上がるのです。
喜悦を感じますが、下手するとケガをするから。
それがまさに芸術の本質だと。

キム・サンギョン
“開けゴマ!”と魔法の扉を開く呪文と一緒に別の次元に移るのです。
スレートを打つ音ほど美しい音はないですね。

オ・ダルス
NGというものがあるから、それを利用しなければならないですね。

ソ・ヨンヒ
すべてのスタッフが私を信じているから、
その信頼に対する裏切りは防がなくてはいけないと言う緊張感です。
ところで“感情を掴むようにみんな静かにしてください!”
という配慮はすごく負担です。
しないでください、どうか。

ファン・ジョンミン
レディー、アクションのサインは、私に大きな意味はありません。
一番重要な瞬間は、その時ではないのですよ。

イ・ビョンホン
俳優もスタッフも、その瞬間の心情は、変わらないと思います。
俳優はスタッフを気楽に思うことが必要です。
それでこそ“カット”してから友達や家族に尋ねるように、
時には応援を時には鋭い指摘を求めることができるから。

イム・スジョン
生まれてそんなことがないくらい自分自身に集中するので、
それで私が消えます。
私とすべてのスタッフは '私たちのチーム'ですが、
その瞬間だけは1 対多数の構図になって、
誰も私を助けることができません。
私がすべてのことを統制することができる幸せと寂しさが同時にあります。
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by gomazokun | 2011-11-23 23:04 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (4)
5. モニターは、俳優にとって、何に使う物なのか?

1990年代末現場モニターが韓国映画に導入した以来、
カットシーン直後、モニターの前に集まって来る
俳優、助監督、 撮影監督の姿は、
撮影現場の代表イメージになった。
演劇や TVドラマ演技者たちと違い、
映画俳優たちは微分された単位で演技を復碁することができる。
ふと必須不可欠なように見えるモニターは推測と異なり、
俳優たちに制限された用途の道具だ。
まず俳優が体感する感情の強度に外的表現の
水位が照応しているのか点検する使い道が基本だ。
モニターで、まず自分がきれいで格好よく
捕えられているかチェックする人の常は、
俳優たちにたびたび落とし穴になったりする。
デビュー作 「嫉妬は私の力」でソ・ヨンヒは、その危険を悟った。
“率直にモニターで何を見ろというのかも分からなかったです。
ところが水着を着て電話に出るシーンで、
私は、いつのまにか腰をまっすぐに伸ばしていたんですよ。
実生活での人々の姿勢は、少し曲がっているのではないですか。
ところが、お腹の肉が折り畳まれているか心配で、
無意識的に気を遣ったんです。
私が気を遣わなければならないのは、
お腹の肉ではなく状況なのに。”
まっすぐな好男子の演技を
たくさんしたキム・サンギョンは 、
「生活の発見」で、お酒を飲んでほんのり
赤い顔で下品な言葉をしゃべる
モニターの中の '格好を見るのも嫌な
' 自分の姿にびくっとしたが、監督を信じて押し通した。
封切り後彼は反対の衝撃を受けた。
“確かに私の身体と精神を使ったのに、
私の知らない私がスクリーンにいました。
俳優として、そのように夢見た
新しい人物がいました。
俳優たちは、大衆が、
自分のどんな姿を好むのかよく知っています。
しかし、そのように嫌な姿が集まって別の人物になるのです。”

デビューの時からモニターが現場にあった世代の
イム・スジョンにとってモニターは、
身体のどの部分まで使うほうが良いか早く計算して、
カットの総合的意味を迅速に把握するように助ける道具だ。
もう彼女は経験ある俳優が、そのように小さくて
画質が落ちるモニターに表現された演技が
スクリーンのそれと隙間があることを考慮するようになった。
“顔面の筋肉をとても自由に使う俳優ではなくて、
目で感情をたくさん表現するのが私の短所と同時に長所なので、
モニターとスクリーンで感じられる表現の強度が異なっていると、
後半作業の過程で監督が 'スジョンさんは、
あのように演技したのか?' と考えるという場合があります。”



6. リアクション演技は、何故重要で、俳優にどんな満足を与えるか?

'演技はリアクション'という言葉が、
人が絶対的なよりどころとして守るべき
規則として引用されて久しい。
観客が目の主導権を握る演劇では、
話している俳優が視野を占領するが、
映画と TVでは、ただ聞いている
人間の顔が多くの時間画面を占有する。
言葉を交わす演技、良い。
しかし1台のカメラを使う映画現場でリアクションは、
相手俳優と目が行き違ったまま、
時には初めから相手がいない状況で成り立ったりする。
すなわち、相手がついさっき言ったか
5分後に言うせりふを、
そっくりそのまま内面に抱きながら
そこに言い返さなければならない。
ハ・ジョンウの親切な解説を聞いてみよう。
“リアクション単独撮影が可能なのは
リハーサルのおかげです。
シーンのはじめから終りまでを
マスターショットで撮るリハーサル過程で、
シナリオに提示されていない状況
-石の突き出た部分を避けるとか、通行人が眺めるとか-
と突き当たって、監督がその中の相応しい部分を
リアクションで選択することになります。 ”

リアクションが持って来る相乗効果を、コ・チャンソクは、
実力のある相手に会えば本人も上手く
打つように感じられる卓球競技に喩え、
ファン・ジョンミンは、お互いの気を交わす間
ますます直径が大きくなる円に比べる。
このようなシナジーを置いて
西洋のある俳優は
“演じてみると必ず、
私が後退の演技をすれば
相手が殴り飛ばすような瞬間が来ます”と描写したりした。
オ・ダルスにとってのリアクションは、
単にカメラの前の問題ではない。
“日常で良いパートナーになってこそ、
舞台でも良いです。
しばしば会って話しながら、
相手に対する様々な部分を自分自身に植えるのです。”
ソン・ガンホは、映画のリアクションは演劇のそれより、
より少なく決定的だと見る立場だ。
“演劇でのパートナーは、公演の成敗に決定的ですが、
映画は多少合わないとしても、
それが私の演技に致命的影響を及ぼすとか妨げはしません。”

新人時代からリアクションの
大切さを深く理解する俳優に見えたイム・スジョンは、
「箪笥(原題:長靴、紅蓮)」の経験を忘れることができない。
“「箪笥」を撮っている間、
グニョン(ムン・グニョン)が、どこかで泣いていれば、
私も一緒に泣いていたし、
私の気分が良ければグニョンも幸せでした。
今振り返っても、
理解することができない感情的結束がありました。”
リアクション演技で一編の映画を導いて行った俳優では、
チョン・ドヨンが一番だ。
「素晴らしい一日」でのチョン・ドヨンは、
原作小説よりずっと躍動的に動く相手役
ハ・ジョンウのサーブを始終受け抜いた。
“シナリオのビョンウンは、原作よりスポーティーだったし、
ハ・ジョンウさんが、それをさらにダイナミックにさせました。
だから努力するのはビョンウン一人で十分だし、
私はただ感じていよう、そのように思いました。
易しくなかったです。”
ところがこれは、
チョン・ドヨンが自ら招いた(?)面がある。
ハ・ジョンウ後輩の証言。
“何をしてもドヨン先輩がすべて受けてくれました。
それで約束は守るけれど、
その中でさらに即興的に突発行動をすることになりました。”
ところで、それ以前に私たちは 「初恋のアルバム 人魚姫がいた島」
を記憶しなければならない。
チョン・ドヨンは、そこで 1人2役を演じながら、相手俳優の代わりに
位置を表示するテニスボールにリアクションをした。
“難しかったです。
人の目を見て演技する時と、
点を見て演技する時は、目の深みも変わります。
だから、その差をよく知っている良い俳優たちが、
自分がカメラにかからなくても、相手俳優が要求しなくても、
リアクションを取る時横で声だけででもボールを投げてくれます。”
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by gomazokun | 2011-11-12 22:29 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (3)
3. カメラの演技は、舞台演技と、どう違うのか?

“カメラがどこにあるのか私の顔がどのように捕らえられるのか、
その上私は演技をして何の話をしているのか見当がつきませんでした。
相手役と呼吸しなければならないと聞いたのに、
相手のせりふは聞こえもしないし、
私のせりふが間違わないことにあくせくしていました。 (笑い) ”

演劇を経ないでカメラの前で演技の第一歩を踏み出した
イム・スジョンが振り返る最初の恐れだ。
教科書は、よく映画の演技の属性を演劇の演技と対比して説明する。
演技する現場から演劇は、客席を闇で覆い、
舞台にだけ照明を照らし、劇的世界を明確に区切るが、
映画俳優は、狭くは 5m 半径に配置した装備と、
ひそひそ話す人たちの前で没頭しなければならない。
まず多くの俳優が演技で目を使う方式の差を話す。
ソ・ヨンヒは“演劇何編かを撮りながら目が合う演技に慣れたから、
肩や虚空を見ながら演技するのが大変でした。
今も易しくありません”と言う。
ファン・ジョンミンは“映画は、
目だけで演技をしなければならない場合が発生するのですが、
言葉の他に目でどんな光も送ることができなくて、
悩みがありました”と振り返る。
コ・チャンソクは、演劇は 1 対 100のエネルギーを、
映画は 1 対 1のエネルギーを必要とすると要約する。
オ・ダルスは、カメラと演劇の観客の視線の類比関係に注目する。
“結局は演劇が土台です。映画でカメラが観客の視点を代弁しながら動くというなら、
舞台では、俳優が観客を配慮して、
視線処理の高さ、両手の中で先に持つ方の手、
回転の時身体を開く方向などを決めます。
それが正しくなければ、観客が不便を感じます。
映画にクローズアップがあるというなら、
演劇には俳優の脳天に落ちるトップ照明があります。
演劇でトップ照明を受けて来た視線が集中されると、
周辺は真っ暗で見えるものがありません。
それでもう分からないということが言えます。 (笑い)
クローズアップの演技も、もう分からない式が一番良いようです。”
ソン・ガンホもやはり、演劇の演技の包括的底力を認める立場だ。
“よく重要に感じられる相手の話を十分に聞くのは、
映画より聞かなくては感情が発生することが
できない演劇でより決定的です。
舞台で見えないようにそれを学習しました。 ”
それでも少しの技術的移行期は必要だ。
大学で演劇をしたキム・サンギョンは、
カメラ演技初期にスタッフの前で公演するという想像をしたと言う。
近頃も彼は、 1次観客である現場製作陣から胸を
打たなければならないという目標を捨てていない。
ハ・ジョンウにとっての映画演技学校は、
おおよそ 10ヶ月の間撮影した
ユン・ジョンビン監督の卒業作品 「許されざる者」だった。
1カットに 30テイク以上撮り、10ヶ月を現場で生きてみると、
演劇で形成された俳優の身体が、自然にカメラの演技に適応した。

撮影と演技は、どのようにお互いを押したり引いたりできるのだろうか?
大多数の俳優たちは撮影監督と別途に
演技を議論しないが、例外もある。
常凡ではないアングルをしばしば駆使する
パク・チャヌク監督の「サイボーグだけど大丈夫」を撮る当時
イム・スジョンは異例的に、チョン・ジョンフン撮影監督の
アングルをあらかじめ確認して演技に参照した。
「黄海」の初盤、 一人きり寒いソウルの街を
さ迷う単独シーンが多かったハ・ジョンウは、
ある日、イ・ソンジェ撮影監督が自分のような心情で
モニターを確認していることをふと悟り、
カメラも自分とリアクションする一種の俳優であることを発見した。



4. 映画俳優は、編集の '専横(好き勝手)'に、どう対応するのか?


編集は、カットとカットの衝突を通じて、
俳優の中立的ジェスチャーと目つきに
弾力と意味を吹き入れる有能な風のジャブだ。
しかしもっと大きな単位で見ると、
編集システムによって、大多数の映画で
俳優たちは、シナリオの順序と無関係に演技する
条件を受け入れなければならない運命だ。
3、 1、7、8回のシーンをAという場所で撮って、
10、2、5、 4、 9回のシーンはBで撮る映画ならば、
俳優は、あらゆる障害物を越え、その日その日の
撮影の分量に相当する感情グラフの座標に着地しなければならない。
虐待される主人公が復讐の鎌を持つ前と後に
大きくなるように両分される 「ビー・デビル」の例を見よう。
途中途中のシーンが抜けた状態で村の人々を殺す
後半場面を撮ったソ・ヨンヒは、
既存の殺人者の演技から力を抜きたいという構想を押し通した。
“ところが、スタッフたちが不安に思いました。
前半部との変化が大きくなさそうに見えるのに、どうするのかと。
私も不安だったのですが、その時揺れれば、
本当に映画が山に行くしかないと思い、トーンを堅持しました。”
編集の専横を痛感させるようにする事例は、
映画の結末が変わる場合だ。
俳優たちは、いわゆる心を込めて調整した感情線を、
愚弄されたと思わないだろうか?
何種類かのエンディングを袖の中に入れて
最後まで秤にかけるキム・ジウン監督と作業して来た
イ・ビョンホンが説明する。
“コーヒーに白砂糖、黒砂糖、角砂糖の中で何を入れるかの問題であって、
塩とか調味料を入れろという非常識な注文ではありません。
場面が変わると言っても、
場面の核心の情緒、映画が究極的目標を
共有すると言うなら同意することができます。”
しかし、出入りが多い撮影順序は、
特定のシーンの撮影を不可能にさせる例もある。
「ハピネス」でファン・ジョンミンは、
恋人に心が遠くなった時期のシーンたちを盛んに撮る途中、
場所の渉外問題で、愛し合っていた頃の
場面にバックする状況が近づくと、監督に
“到底感情がわきません。嘘っぽいです”と告白し、撮影を諦めた。
逆に撮影の順序の混合が役に立つ時もある。
10分を超す「愛してる、愛してない」のロングテイクの
オープニングシーンは、クランクアップの日撮影された。
イム・スジョンは、相手俳優ヒョンビン、スタッフたちと
その間呼吸した時間があったから、
それだけでもこのシーンは容易だったと回顧する。

映画の演技は 1回のことだが、 1回のことではない。
観客が見る一つの演技の後ろに複数のテイクが隠れている。
テイクごとに全部別の演技をするが、
編集室に行くと、みんなOKだという評判の主人公ソン・ガンホは、
大勢から脱しなければ 、A-1でも A-2でもAとして
問題がないという見解だ。
“地球は今も回っているのに、
どうして演技が前テイクとまったく同じにできるのですか。”
あえて完成本に入らなくても、様々なテイクを許容するメカニズムは、
映画俳優に若干の息の根、見えないエネルギーを
輸血するひとつの指尺の遊戯空間を提供したりする。
イ・ビョンホンがそんな場合だ。
“監督の意図によるテイク、私が望むテイクをすべて
撮ってみてOKカットが既に出たのに
'今度何ができようがやってみるよ' と言って、
もう一度行ったりします。
大部分編集でカットになりますが、
退屈な講義を聞いて首を一度ほぐす気分です。 ”
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by gomazokun | 2011-10-14 23:36 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (2)
2. 現場に立った俳優の頭の中では、どんなことが起こるのか?

どれほどすれば '憑依'というオカルト的単語が動員されるのだろう。
私たちは許諾されるなら彼らに脳波探知機でも付着したい。
演技に突入した俳優の意識中では、果してどんな作用が起きるのか?
どんなきっかけが感情の引き金を引き、バルブをかけるのか?
映画の演技も練習が可能なのか?
私たちのできる事は、事例収集ばかりだ。
ソン・ガンホは、弛緩した精神と肉体を維持したまま
現場へ行く事を基本に指折る。
ソ・ヨンヒの経験談も、脈絡を共にする。
“家で本当に熱心に練習してあらゆる状況に対応する
多くのコンテを組んでみて現場へ行くと、
頭の中に描いていたテーブルはありもしなくて、
地下で想像していた空間は屋上です。
そこで私が 'これは違うから' と
受け入れることができなければ、限りなく崩れます。”
映画の撮影現場でスタッフと差別される
俳優の特殊な状況は彼女を除いた全員が、
現場をまともにころがって行くようにするために
極めて冷徹な頭を維持しているところに
一人で精神的に裸にならなければならないという点だ。
「シークレット・サンシャイン」ついてのチョン・ドヨンの回想だ。
“酔った人たちの中で気が抜けた演技をするのではなく、
刃物のような視線たちが私を取り囲んだ中に
自分をおくのが非常に大変です。
大きな羞恥心を捨てなければならなかったです。
人々は、神がかりと言いますが、実際には、
どのくらい空にするのかがカギです。”

ファン・ジョンミンの場合、“テスト撮影をしに行って、
人物の衣装をぱっと着る瞬間、
耳の後ろがサッと熱くなる感じ”でスィッチが入る。
撮影中のキャラクターの性格を維持するために
多様な水準の没頭が試される。
「ユア・マイ・サンシャイン(原題:君は僕の運命)」で
ファン・ジョンミンと共演したチョン・ドヨンは
“ソクチュンがウナと離れて会えない重要な
場面を撮った時期には、
撮影していない間も私を避けていました”と記憶している。
「素敵な一日」で悠々自適な男チョ・ビョンウンに
ならなければならなかったハ・ジョンウは
実際の撮影現場で一度も癇癪や怒りを起こさないという決心をした。
'クッション' 良いビョンウンの性格を維持しようとする心得だった。
反対に映画始終怒りで支える「悪魔を見た」のイ・ビョンホンの顔は、
ずっと一晩中泣いた男のそれだった。
どうして可能だったのだろうか?
“まず、撮影場に到着すれば、
扮装する時から今日撮る場面だけを考えます。
そうしてみると、私はいつのまにか怒っているし
喪失感にかられます。
変なそのような感情になると私は目の下がみなぎり、
膨脹する感じを受けます。”
キム・サンギョンは 「光州5・18」で、
負傷した弟が死ぬ病院の場面を撮る日、
照明とセッティングを変える間にも嗚咽が止まらず、
撮影し宿泊先に帰る車中で気力が尽きて気絶することもあった。
反面たゆみない没頭より '出入り'を好む俳優もいる。
「チェイサー(原題:追撃者)」の犠牲者と
ドラマ 「ムドリ(原題:嫁全盛時代)」のおどおどした作家役を
同時期並行したソ・ヨンヒは、
苦痛で泣き叫ぶ演技と、笑ったり、
騒いだりする演技を往復することで不足なエネルギーを補い、
精神的平衡を保つことができたと自評する。
何といっても俳優にとって現場は、
フリープロダクションから進行された
キャラクター形成のメイングラウンドだ。
“監督と机に向き合って座って話すとか、リーディングだけでは、
人物を把握するのに限界があります。
彼女の服を着て、劇中の場所でリハーサルをする時に
初めて現われるディテールがあるから。”
チョン・ドヨンの所見だ。



3. カメラの演技は、舞台演技と、どう違うのか?


“カメラがどこにあるのか私の顔がどのように捕らえられるのか、
その上私は演技をして何の話をしているのか
見当がつきませんでした。
相手役と呼吸しなければならないと聞いたのに、
相手のせりふは聞こえもしないし、
私のせりふが間違わないことにあくせくしていました。 (笑い) ”

演劇を経ないでカメラの前で演技の第一歩を踏み出した
イム・スジョンが振り返る最初の恐れだ。
教科書は、よく映画の演技の属性を演劇の演技と対比して説明する。
演技する現場から演劇は、客席を闇で覆い、
舞台にだけ照明を照らし、劇的世界を明確に区切るが、
映画俳優は、狭くは 5m 半径に配置した装備と、
ひそひそ話す人たちの前で没頭しなければならない。
まず多くの俳優が演技で目を使う方式の差を話す。
ソ・ヨンヒは“演劇何編かを撮りながら目が合う演技に慣れたから、
肩や虚空を見ながら演技するのが大変でした。
今も易しくありません”と言う。
ファン・ジョンミンは“映画は、
目だけで演技をしなければならない場合が発生するのですが、
言葉の他に目でどんな光も送ることができなくて、
悩みがありました”と振り返る。
コ・チャンソクは、演劇は 1 対 100のエネルギーを、
映画は 1 対 1のエネルギーを必要とすると要約する。
オ・ダルスは、カメラと演劇の観客の
視線の類比関係に注目する。
“結局は演劇が土台です。映画でカメラが
観客の視点を代弁しながら動くというなら、
舞台では、俳優が観客を配慮して、
視線処理の高さ、両手の中で先に持つ方の手、
回転の時身体を開く方向などを決めます。
それが正しくなければ、観客が不便を感じます。
映画にクローズアップがあるというなら、
演劇には俳優の脳天に落ちるトップ照明があります。
演劇でトップ照明を受けて来た視線が集中されると、
周辺は真っ暗で見えるものがありません。
それでもう分からないということが言えます。 (笑い)
クローズアップの演技も、
もう分からない式が一番良いようです。”
ソン・ガンホもやはり、
演劇の演技の包括的底力を認める立場だ。
“よく重要に感じられる相手の話を十分に聞くのは、
映画より聞かなくては感情が
発生することができない演劇でより決定的です。
舞台で見えないようにそれを学習しました。 ”
それでも少しの技術的移行期は必要だ。
大学で演劇をしたキム・サンギョンは、
カメラ演技初期にスタッフの前で公演するという想像をしたと言う。
近頃も彼は、 1次観客である現場製作陣から
胸を打たなければならないという目標を捨てていない。
ハ・ジョンウにとっての映画演技学校は、
おおよそ 10ヶ月の間撮影した
ユン・ジョンビン監督の卒業作品 「許されざる者」だった。
1カットに 30テイク以上撮り、10ヶ月を現場で生きてみると、
演劇で形成された俳優の身体が、自然にカメラの演技に適応した。

撮影と演技は、どのようにお互いを押したり
引いたりできるのだろうか?
大多数の俳優たちは撮影監督と別途に演技を議論しないが、
例外もある。
常凡ではないアングルをしばしば駆使する
パク・チャヌク監督の「サイボーグだけど大丈夫」を撮る当時
イム・スジョンは異例的に、チョン・ジョンフン撮影監督の
アングルをあらかじめ確認して演技に参照した。
「黄海」の初盤、 一人きり寒いソウルの街をさ迷う
単独シーンが多かったハ・ジョンウは、
ある日、イ・ソンジェ撮影監督が自分のような心情で
モニターを確認していることをふと悟り、
カメラも自分とリアクションする一種の俳優であることを発見した。
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by gomazokun | 2011-10-03 21:37 | その他翻訳
CINE21 820号『映画の演技とは何か』 (1)
秋夕(チュソッ)も過ぎたのに
残暑が厳しいですねー
その秋夕にチャンネルCGV で放送された韓国映画の特集の記事です。
テレビのほかに雑誌のインタビューもあったんですね
CINE21に載った記事をazukiさんが翻訳してくれましたので
アップしますねー
長いのでここから順番に読んで下さいね(w



コ・チャンソク、キム・サンギョン、ソ・ヨンヒ、ソン・ガンホ、オ・ダルス、イ・ビョンホン
イム・スジョン、チョン・ドヨン、ハ・ジョンウ、ファン・ジョンミン…
あらかじめ見るドキュメンタリー 『チャンネルCGV 大企画 映画の力』を通じて
出会う映画の演技論

映画の演技に関する論議は、常に旱魃だ。
映画の成分の中で、最も予想できない元素が俳優なのだから、
これは不可避なことで、
単に韓国だけの現象でもない。
演技の秘密を論じるのが難しいのは、当事者である俳優たちも同じことだ。
“私が今、俳優は、なんだかんだ、演技は、ああだこうだと話したとしても、
本当は、死ぬ10分前にでも話せることのようです。”俳優オ・ダルスの吐露だ。
イギリスの俳優ポール・ベタニー
(「マスター・アンド・コマンダー」「ドッグヴィル」) もやはり、
セックスと演技は、している間は尽きることなく楽しいが、
それについて話すのは、死ぬほどきまり悪いという点で
まったく同じだと情理したことがある。
しかし、壁が高いほど見物人の騒ぎは酷くなるのが道理。
「CINE21」は、チャンネルCGVが創立 10周年を迎えて用意した
4部作のドキュメンタリー
『チャンネルCGV 大企画 映画の力』 (製作イノストーリー) 中、
俳優の演技にスポットをあてた『俳優を見た』編に参加し、
現在盛んに活動している韓国俳優たちに、
映画の演技の実際と経験的演技論を傾聴した。
俳優コ・チャンソク、キム・サンギョン、ソ・ヨンヒ、ソン・ガンホ、オ・ダルス、
イ・ビョンホン、イム・スジョン、チョン・ドヨン、
ハ・ジョンウ、ファン・ジョンミン(以上 カナダラ順
*ハングルの音節順・日本語でいう五十音順))が取材に応じてくれた。
貴い体験と洞察を分けてくれた俳優たちのうち、
ソン・ガンホ、チョン・ドヨン、イ・ビョンホン
ソ・ヨンヒ、イム・スジョンのインタビューはキム・ヘリ記者が進行したし、
キム・サンギョン、コ・チャンソク、オ・ダルスのインタビューは
『俳優を見た』を演出したパク・ミソンPDが、
ファン・ジョンミンとハ・ジョンウのインタビューは、イ・ヒョンジョン作家が進行し、
貴重な録画取材記録を伝えてくれた。
演出、演技、シナリオ、技術に分けて映画が発揮する
魔力の内幕をうかがおうと試みた 『映画の力』4部作は、
チャンネルCGVを通じて 9月10日『俳優を見た』を始まりに 9月17日 『監督、語る』、
9月24日 『私はシナリオだ』、10月1日 『テクノロジー嘘をつく』編の順で、
一ヶ月間毎週土曜日夜 8時に放映される。



1.俳優は人物を、どのように準備するのか?

あなたの職業が、映画俳優と仮定しよう。
契約書にサインが書かれて、クランクインの日取りも出た。
今後数ヶ月間何某として生きろという定言命令が下ったのだ。
映画も俳優もフリープロダクション期間だ。
おそらくあなたは、キャラクターをこと細かく分析することもできるし、
人物が入って来る所を用意するために自我を消すのに
専念することもできるだろう。
もちろん大部分は折衷だ。いくらなんでも直観に期待する俳優だとしても、
悩みなしに現場に行こうとするはずがない。
キャラクターが騎手なら乗馬を、
料理人ならフライパンを動かす姿勢を身につけるのは基本だ。
それでも本当に騎手や料理人になる必要はない。
関連した場面で頼もしい '真似'をすることができる水準で十分だし、
実際にもそれ以上は不可能だ。

よく言うように、俳優は他人の人生にどう潜入するのか?
イ・ビョンホンが強く共感すると言って聞かせた比喩が役立ちそうだ。
“私の前で人物が後ろ姿だけ見せてずっと逃げます。
俳優の私は、彼を捕まえて肩を回させて
顔を見ようと必死になるのですが、
ある時は、こっそり後ろだけ振り返って止めることもあります。
はなはだしくは、最後まで人物の正面を見ることが
できなかったまま撮影を終えることもあります。”
まず役を緻密に準備して勉強し、
その過程を心から楽しむ俳優たちがいる。
学者のように真摯で軍人くらい規律が
固い俳優ハ・ジョンウもこれに属する。
“既存の映画の類似のキャラクターと、それに扮した俳優を調査して、
三、四の作品に絞って調べてみます。
周辺で似ている事情を持った人も探してみます。
主題と係わるドキュメンタリーと資料も収集します。
このように探した標本の人物たちの行動パターンを通じて、
演技表現の方式をモデリングする部分もあります。”
ハ・ジョンウが扮した「素敵な一日」のチョ・ビョンウンは、
「キッド」のチャップリンを、
「国家代表!?」のヒョンテは
「ハンコック」のウィル・スミスを参照したという事実は、
多くのインタビューで言及された。
同じく大学で俳優として典型的な訓練を受けたキム・サンギョンも、
シナリオがないホン・サンスの映画を除けば、
人物の仮想自叙伝を書いて関連資料を読む。
「光州5・18(原題:華麗なる休暇)」を控えてからは
望月洞の墓地を訪問し、
光州抗争で犠牲になったあどけない学生の写真を
携帯電話に取り込み、随時のぞき、
そのイメージを心に植えておいた。
取材は作家だけの業務ではない。
キャラクターを現場で、ああだこうだと再論したがらない
(“現場ではただ狂ったように走りますよ。”)
ファン・ジョンミンは、 1994年の記者に扮した
「モビーディック」のキャラクターを構築するため、
現在局長級、部長級にある報道人をインタビューした。
ただ、彼の得た情報は心理ではなく外的事実たちだ。
一週間に家に何度帰って行ったのか、
主に履物は靴の種類は何だったのか、
締め切り時間に編集局でタバコを吸ったのか等々の
ファクト(事実)たち。
“態度や行動は個人ごとに違うことだから尋ねてみる必要はないです。”

実存/虚構のモデルを置いてキャラクターの輪郭を掴む方法の中で、
オ・ダルスの仄めかした例が面白い。
“俳優たちはモデルを探すことができなければ、
動物にたくさん喩えます。
この人は兎だ、オオヤマネコだ。
「渇き(原題:コウモリ)」の場合、
捕まれば死んだふりをする狸を考えました。”
動物は心理より外観と動きに対するヒントのつもりだろう。
コ・チャンソクもやはり、人物の性格は
現場で相手俳優と向き合う前までは確定することができない部分だから、
事前準備は衣装と外観に集中する方だ。
たとえば、階級によって変わる身体の重さ重心。
「仁寺洞(インサドン)スキャンダル」の追われる社長を表現するため、
コ・チャンソクは、若干身体をひねる歩き方を選んだ。
俳優たちが行う多様なリサーチが、
模倣する手本や表現の正解を捜そうとする
努力とだけ思っていたら狭い理解だ。
ハ・ジョンウは、既存の演技を観察する時、
名優の技巧を観察するだけでなく、
その表現がどのように全体の叙事の展開に
寄与しているかどうかに注視する。
ひいてはキム・サンギョンは、実在が俳優に与える、
ある'機運'があると付け加える。
技術的準備にあたる身体作りも肉体美の問題だけではない。
イ・ビョンホンは“「グッド・バッド・ウィアード
(原題:いい奴、悪い奴、変な奴)」のチャンイを準備しながら、
トレーナーを置いて作った身体というより生きるために丈夫に強くなった身体、
そうそうアイツを殺せないと言う感じを与えようと思いました”と説明する。

そうかと思えばソン・ガンホは、人物の全面的構築より、
ポイントをかいつまむ類型の俳優。
“たとえば人物がホームレスなら、
汚らしい身なりとか常識的な何種類かのコードがあります。
ところが俳優は、そのコードたちを全て取り除いても、
彼をホームレスにさせる本質を探さなければなりません。
それをつかめば、観客は、
ホームレスの実体をもっと深く受け入れるようになります。
よく言う日常性は日常的ではなく、
断面を通じて生き生き現われるものです。
虎を見せるとしましょう。縞模様のある全身を描くより、
猫のように柔らかい毛の中に隠れた
鋭い足の爪だけ描いてみせる時、
虎の実体の与える恐怖は大きくなります。
こういったことを探し出すのが真正な表現です。”
「ビー・デビル(原題:キム・ボクナム殺人事件の顛末)」で
存在感を固めたソ・ヨンヒも、
キャラクター構築の強迫から自由な方だ。
“私がする役なら、私が表現するままに出てくるものが
ふさわしいものという厚かましさが生じました。
前もってとても悩むとしても、
行動に対する合理化にしかならない場合が多かったです。”
そうかと思えばイム・スジョンが、
キャラクターに近付く1段階は、
人物を掘り下げるより退くことだ。
監督あるいは観客の目になって頭の中で一人だけの
映画を最初から最後まで撮ってみる遊び。
“まるで監督になったように、私なりにシナリオを映像化して想像します。
一人で劇場に座ってまだ撮れない映画を見るように。 ”

逆の発想の質問を投げてみよう。
俳優は必ず人物を完璧に理解しなければならないのだろうか?
俳優と監督が人物像を正確に共有するのが
必ず最善の結果につながるのだろうか?
演劇やドラマの場合、答は当然“そうだ”のようだ。
しかし、より偶然に開かれている映画は違わないのだろうか?
この疑問を抱くようにさせた俳優は、チョン・ドヨンだ。
彼女は 「ハッピーエンド」「シークレット・サンシャイン(原題:密陽)」
「ハウスメイド」関連のインタビューで
本人が表現する女たちを理解することができないと吐露しておいて、
毎回素晴らしい結果を出した。
チョン・ドヨンは答える。“映画を始める頃には、人物を、
監督の頭の中を、
みんな分かって入って行かなければならないように思っていたのに、
だんだん愚かだったという気がしました。
ところが現場で演技しながら人物の '状況たち'を経験してみると
'ああ、そんなこともあるわ'と言う考えが生じます。
”言わば、生きてみると分かることだ。
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by gomazokun | 2011-09-19 22:16 | その他翻訳
『 Share The Vision 』
このサイトはもうご覧になりました?
http://www.sharethevision.co.kr/
「japanese」の選択項目があるものの
対応はまだのような。。。

てなことでazukiさんが
シノプスとMaikingを訳してくれましたので
早速、アップしますねー

シノプスがあると「なるほどー」の度合いが大きくなりますよね(w

【 Synopsis 】

成功したい
将来を見通したい
自分の理想を成功へ導きたい
しかし、現在に縛られ 将来を見通すことができない
一歩 足を踏み出す勇気を持つことができない
安定という型に 自身のビジョンを閉じこめようとする
そんな時 一歩 足を踏み出す力をくれる
自分のビジョンを 快く分け与えてくれる人に 私は出会ったことがある
Share The Vision

嘱望される経営コンサルタントのヒョンミンは
Barで メンターのようなソンジェに会うようになる
ヒョンミンは ソンジェとの出会いを通じて 自身のビジョンを悟り これの実現のため
職場で 自分とビジョンを共有することができる若者- スンチョルと共に努力した末に投資を受け
ビジョンのための第一歩を踏み出す
ヒョンミンは 自身を導いてくれたソンジェに再会するため努力するが
彼の行方を捜すことはできないのに …

【あらすじ】

「 エピソード1 Vision in Mind 」
嘱望される経営コンサルタントのヒョンミン(イ・ビョンホン)は
Barで メンターと同じソンジェに出会うようになる
ソンジェを通じて 自分のビジョンと
進むべき方向についての答えを得るようになったヒョンミンは
自身のビジョンを悟り
ビジョンを成し遂げるため 新たな第一歩を歩むようになるが…

「 エピソード2 Believe in Vision 」
ヒョンミン(イ・ビョンホン)は
自分を信じてついて来てくれた親しい後輩スンチョル(ペ・スビン)に
会社の死活がかかったプロジェクトを任せるようになり
製品の性能を検証するため
ライバル会社と自動車レースを繰り広げるようになる
ゴール地点が近くなった瞬間
ヒョンミンの自動車に思いもよらない問題が起こるが…


【 Making Film 1 】

イ・ビョンホン ヒョンミン役
イ・ビョンホン:こんにちは イ・ビョンホンです
         今回のウインザーのキャンペーンで
         ヒョンミンと言う人物として登場します

 Q : 劇中のヒョンミンという人物は?

イ・ビョンホン: 他人から見るには 成功した順調な人生を生きている
         それなりに成功した人なのですが
         本人の中にある そんな夢を実現させようと
         安易な人生から脱皮して 挑戦してぶつかって
         その中で また失敗して もう一度成功する
         そんな 何とか自身の夢を実現させようと努力する
         そんな人の姿を演じました

 Q : 初の3D 撮影ですが、いかがですか

イ・ビョンホン: 3Dメガネをかけてモニターを見るのですが とても面白かったです
         3D映画を見る感じでモニターを見るようになったし
         そのようにして見るので どんなカメラの動きだとか
         人物の動線にも 少しずつ 3D カメラを意識した行動や
         アクションが加味されて

 Q : 私が思う VISION

イ・ビョンホン: この広告を撮るようになって思う話ではなくて
         私は常にいつも考えている部分です
         自分は この状況に満足しながら そのまま順調に安全に生きるのか
         いつか後悔するようになるかもしれないから
         自分は もう少し冒険心を持って挑戦をしてみるのかについて
         そんな悩みは いつもどんな選択を目の前にしても
         常にするようになるように思います
         だから この内容は すごくたくさん(心に)触れたように思います

イ・スギョン ミンギョン役
イ・スギョン:こんにちは
        私は今回のウインザーキャンペーンで 
        ミンギョン役を引き受けたイ・スギョンです

 Q :劇中のミンギョンという人物は?

イ・スギョン:アナウンサーなのですが
        いつも言葉の失敗をたくさんして イジメもたくさん受けるし
        少しそそっかしくて 少し多情多感なスタイルで 腹が立つ時は怒りもするし
        いつも男友達のために気配りもたくさんしてあげる そんな人です

 Q :最も記憶に残った場面は?

イ・スギョン:羽毛の枕のケンカです
        私が一番初めに まずイ・ビョンホン先輩に向かって
        こんなふうにケンカをふっかけるやり方でするので
        バーンと投げながら  やたらに"くってかかる" こんなシーンなのですが
        先輩だから 私は どうしても
        たくさん叩いたりできないじゃないですか
        だから どのようにすべきかと思いながら
        羽毛は たくさん飛ばさなければいけないと思って
        むやみやたらに 一生懸命した覚えがあります

 Q :私が思う VISION

イ・スギョン:その何になったにせよ 今がいつも充実するのならば
        後で後悔することがなければ いいでしょう
        私は 大きな そんなことよりは
        いつも今日最善を尽くして一生懸命に生きようと
        そうすれば 明日も良いことがあるでしょう

ペ・スビン スンチョル役
ペ・スビン:こんにちは
       劇中スンチョル役を引き受けたペ・スビンです

 Q :劇中のスンチョルという人物は?

ペ・スビン:スンチョル役はですね
       すごく何か心の中にビジョンがあるのに
       その思いを 若干彼の現実に邪魔されながら
       一日一日を生きていく人物です
       ところが そんな人物が
       劇中ヒョンミンのイ・ビョンホン先輩を見ながら
       何か自分の中にあった そんな潜在されていた力量を表出したい
       何かメンターとメンティの関係にある人物です

 Q :私が考えるVISION

ペ・スビン:私も俳優生活をしながら誰かを手本としたいし
       それからまた 誰かがすごく良く見えるし
       別の見方をすれば また そんな人たちと私的な話をしてみたいじゃないですか
       そんな意味で見た時 いろいろな面で広告内容も合ったようで
       私は終わってからビョンホン兄さんと お酒を一杯飲むことにしました

イ・スギョン:3Dで今回心血を注いで一生懸命撮ったので

ペ・スビン:メガネを必ず持参してくださって 楽しく見てください

イ・ビョンホン:飲みすぎないようにされていますよね
         それから もしお酒でも一杯飲まれることになる時は
         ウインザーを選んで下さるようお願いします



【 Making Film 2 】

ヤン・ユンホ監督
ヤン・ユンホ:こんにちは
        私はヤン・ユンホ監督です
        今回のウインザーキャンペーン プロジェクトの監督を引き受けました

 Q :Share the visionキャンペーン参加のきっかけ

ヤン・ユンホ:ウインザーキャンペーンの主なモットーが
         ビジョンを分かち合う人たちに対する話だったんです
         それでオファーを受けたし その後で簡略な内容を見たのですが
         男同士に よくありうる話なんですよ
         メンターとメンティであることもありうるし
         ロールモデルであることもありうるし
         困難な時 助けてくれることができる人
         それで 温かい話が起こりうるものだなと思って
         結果的には メンターは 既にメンティがいて
         メンティがまたメンターをする
         そんな男たちのビジネスの世界を
         少し温かい話ではないか そのように考えます

 Q :3Dで製作することになった理由は?

ヤン・ユンホ:私が3Dに関心を持っておよそ1年半程度になりました
        そして 政府が昨年のアバター以後に3Dを未来産業だと言って
        積極的に推奨して育成産業になったのですが
        一番惜しいのが 政府や企業や映画関係者が一緒に行ったら このようなら
        今の我が国は 3Dは断たれた技術で アメリカは持続的であったのですが
        遅れたと言っても いずれ 私たちはIT強国なのだから
        3Dに早く行ってみることです

 Q :私だけのVISION

ヤン・ユンホ:私は仕事を面白がってする人なんです
         エンターテインメント産業で
         そして 特に技術的な部分では 相当神経を多く遣うので
         それで 新技術を少し早く学んで
         また 同僚たちにも早く紹介してあげて
         それで もう少し 優れた技術で また面白い作品たちができる
         そのような道を作るように

 Q :3人の俳優に対する所感

ヤン・ユンホ:イ・ビョンホンさんとは
         アイリスで10ヶ月程度一緒に撮影をしてよく知っていますが
         その後も とても成長したじゃないですか
         私が見るに グローバル スターに成長することができる可能性を持った俳優は
         唯一ではないでしょうか イ・ビョンホン一人ではないかと
         久しぶりに会ったのですが
         確かに とても重量感もあるし 存在感もできたなという気がするし
         イ・スギョンさんは あまりにも溌剌として
         面白いから面白いと 肯定的な人なので
         ペ・スビンさんは 私は予想外の発見でした
         演技も良いし マスクも良いし マナーも良いし
         珍しいオムチナ(お母さん世代にも好かれる、好印象の完璧な人)の場合なので
         可能性が 相当ありそうに見えましたよ

 Q :最も愛着が行く場面があったら?

ヤン・ユンホ:ヨンアムF1レース場で撮ったんですよ
        カーレースをする場面なのですが
        装備も先端の装備をすべて持って行って
        全体的に3Dを安定的に行くという考えがあるので
        少し冒険をしたいと 一部分だから
        パターン カメラと言う 超高速カメラが相当面白かったです
        私どもも2Dでは見たのですが 3Dで行くので また別の世界でしたよ
        面白い作業でした
        ウインザーのキャンペーンですが 韓国3D映画の始まりなので
        2Dの難易度のある技術を果敢にたくさんしました
        若干の無理があることもありますが 最大限 後半作業で調整したはずなので
        皆さん面白く見て より良い3D映画を作るのに参考になれば良いです
        内容の上でも ビジョンを共有する そのような経験になれば良いです



ふむふむ
韓国は国がバックアップして3D映画を作って行こうとしているようですね
日本は。。。その昔、満州なんかで映画を作りましたが。。。
芸術のためでも産業のためでもなかったですから
多分、日本では映画製作そのものにバックアップはしないような気がしないでもない
したら、近隣諸国がなんか言い出しそうですからね
というか、そんな粋な政治家。。。今いてないし
映画祭なんかも自治体主催ですからねー
ま、国策の差ってことですかね(w

メンターは助言者、メンティーは助言を受ける人
最近のビジネスコンサルティングなんかでよく使われる言葉ですね
今の私にはメンターはいるのかなー(w


special thanks azuki-san♪

2011.08.17 【あらすじ】を追記しましたー
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by gomazokun | 2011-08-14 01:00 | その他翻訳
M25 Interview 無鉄砲’俳優’ イ・ビョンホン②
なんだろ。。。
フリーペーパーだし軽~くなんてのはないんですね
どんなインタビューでも真摯に答えてますよねぇ
日本でもここまで突っ込むライターはいないんだろうか。。。

special thanks azuki-san♪

では

続きです♪
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by gomazokun | 2010-09-04 23:46 | その他翻訳